干場義雅 第2回
「編集の仕事をやりたいと思っていたときに、ある雑誌の編集長と知り合い、『ぼくを編集者にしてください!』と土下座して頼みこみました」

島地 勝彦 プロフィール

干場 そうだったんですか。でもシマジ先生の場合は天下の集英社ですものね。

シマジ いえいえ、わたしが入社したころの集英社はまだまだ小さかったんですよ。でもこうしてタッチャンと一緒に仕事が出来て、干場さんと対談が出来るのも、もとをただせばシバレン先生のお蔭だといまでも感謝しています。

本当にいろんなことを教わりました。今東光大僧正だって、シバレン先生から紹介していただいたんですよ。

セオ 開高健先生もそうなんですか?

シマジ 開高先生は自力で“じかあたり”したかな。ところで干場さん、その奇特な編集部はどこだったんですか?

干場 ワールドフォトプレスという出版社の『MA-1』と『モノ・マガジン』です。運よくそこにもぐりこんで、編集の下働きをさせてもらいました。初めはただのアシスタントでしたが、とにかく精一杯やりました。

3ヵ月間、誰よりも早く編集部に行って、机を拭いたり、本棚を整理したり、時に、蹴られたりしながら(もちろん愛情のあるお叱りでしたが)、灰皿をすべて片づけたりしていました。

ヒノ え、そんなことまでしてたんですか?

干場 当時の編集者は、みなさんデスクでタバコを吸っていたので。そうこうしているうちに、「お前はなかなかガッツがあるから社員にしてやろう」と編集長から言われました。それでようやく、本当の編集者としてスタートを切ることができたんです。ちょうど20歳のときでした。

シマジ それは大学に行くより早道だったんじゃないですか。

干場 そうでしょうか。

シマジ 大学は勉強すれば入れますけど、就職は完全に運と縁ですからね。

干場 スミマセン、ネクタイをはずしてもよろしいですか?

シマジ もちろんです。ライトが当たって暑いでしょう。少し冷房を入れましょうか?

干場 いえいえ、シマジ先生はドクロがお好きだと聞いていましたので・・・どうぞ、このネクタイ差し上げます。

シマジ うわっ、本当ですか。おお、ドクロ柄ですね。嬉しいです。

干場 それから、これもどうぞ。このドクロの指輪は先生の方がお似合いです。

シマジ 嬉しいですね。貴重なものをありがとうございます。

どうしてわたしがドクロものを愛用しているかといいますと、例えばこうしてドクロの指輪を見るたびに「メメント・モリ(死を忘れるな)」とリマインドできるからなんです。それにドクロはお守りにもなるといわれています。

伊勢丹のサロン・ド・シマジは3周年を迎えたばかりですが、この指輪はいままでに88個も売れているんですよ。