[プロ野球]
上田哲之「監督とは何かーー原辰徳、エディー・ジョーンズ、そして工藤公康」

スポーツコミュニケーションズ

成功の原動力は「他者性」

いまや、監督といえば誰もが、この秋、日本中を沸かせた名将を思い浮かべる。ラグビー日本代表のエディー・ジョーンズ前監督(正式な肩書きは「ヘッドコーチ」)である。

「ジャパン・ウェイ」というチームの理念を高く掲げ、練習、試合、規律、あらゆる行動をそこから逆算して、実行し、成功をおさめた。監督とは、まずは、理念を実現する者の謂である(理念のない監督は、監督ではない)。

彼は、なぜ成功したのか。多くの要因のうちの一つに、外国人でありながら、日本の文化、あるいは日本人の気質をよく知っている、という彼ならではの特性があったと思う。そこに、じつは、名将の条件も暗示されているのではあるまいか。

つまり、監督は、選手と文化を共有できなければならないが、選手とまったくの同僚・仲間になってしまっては務まらない。

日本ではよく、いい監督のことを、父親であったり兄になぞらえたりするではないですか。「オヤジ」とか「アニキ」とか。もちろん、そういうある種の家族性も重要だろうけれど、その残余というか、他者性(エディーでいえば、外国人であること)も必要だろう、ということだ。

そのエディー・ジョーンズが、離任にあたって、会見でこう述べた。

<しっかりとしたプランがなければ、強い代表はできないし、やり遂げる力も必要だ。でも、日本ではこれらを遂行するのは難しいだろう。変化を嫌う人もいるからだ>(『日刊スポーツ』10月14日付)

ちなみに、これはイングランド大会から凱旋帰国した13日の会見である。4年後のワールドカップ日本開催にもはずみがついて万々歳と、日本中が祝福ムード満開のときに、こういう言葉を放つことができる「他者性」。

これこそが、彼を成功させた原動力だろう(会見のこの部分だけをことさら大きくとりあげたメディアも少なかった。「変化を嫌う人」の国だから、と言いたくもなる)。