この情報を端緒に捜査を開始。当時の賭場は神戸・三宮のマンションの一室だった。賭けの対象になった試合について、現在も裏付け捜査を進めているが、その中には有が登板したゲームもあったという。
捜査の結果、有に対してMLB(大リーグ機構)の調査が入らないとも限らない。「疑わしきは罰する」を旨とするメジャーだけに、何らかの処分が下される可能性もゼロとは言えない。
兄が栄光の階段を駆け上がっていく一方で、弟の人生は徐々にレールから外れていく。
有が東北高校のエースとして甲子園で脚光を浴びていた頃、翔は中学生にして、すでに一端のワルだった。
「狂犬みたいに誰彼かまわず襲いかかるんです。同級生を殴って鼻をへし折ったり、先生に暴行して腕を骨折させたりしたこともありました。それでも懲りず暴れる日々で、挙げ句に少年院送り。中学の卒業証書もそっちでもろたみたいです」(同じ中学の先輩)
当時の翔の心情について、前出の祖母はこうおもんぱかる。
「有もやんちゃな面があったけど、野球のクラブで厳しくしつけられたのがよかった。でも翔は、小学生のときからやっていたサッカーで挫折を経験しとるから……。有が活躍して世間の注目を浴びてしまい、その対抗心で焦っていた面もあったのかもしれません。兄を超えられへんという気持ちがねぇ……。
どんどん有名になっていく兄を横目に、自分だけ取り残されたという気分になったんやないかな。それは、もう運命なんかなあ」
祖母によれば、その頃の兄を見る弟の視線のなかには、まだ憧憬と嫉妬が相半ばしていたようだ。しかし、やがて兄は活躍の場をプロ球界へと移し、ますます光り輝く。一方、光が強くなればなるほど、影もまた、濃く暗くなっていった。そして'07年11月、翔は再び悪に手を染めてしまう。
「ワル仲間と金目当てで建設会社に押し入り、持っていた刃物で相手にケガを負わせ逮捕されたんです」(スポーツ紙記者)
他方、有はこの年、パ・リーグ年間MVPに最多奪三振、栄えある沢村賞も受賞し、文字通り日本球界の「エース」になったのである。
ただ有も弟のことは心配だったらしく、当時、親しい野球関係者にこんなことを漏らしていた。
「マスコミはみんな翔を凶暴な男と書いているけど、本当は心根の優しいヤツ。優しすぎて、周りに流されやすいだけなんです」
更生させるには大阪のワル仲間から引き離すことが先決と考えたのだろう。父・ファルサ氏と相談の上、翔を東京に呼びスポーツ・エージェントの団野村氏が経営する会社に就職させる。