ノーベル物理学賞・梶田隆章「地の底でトロッコに乗った下積みの日々」

独占インタビュー60分!
週刊現代 プロフィール

私が入学した時は、まだ『カミオカンデ』は建設されていないどころか、設置する地下空洞の掘削すら始まっていませんでした。何も知らなかった私は、研究室の2年先輩の有坂勝史さん(現・カリフォルニア大学教授)に誘われる形で、『カミオカンデ』の準備を手伝うことになりました」

カミオカンデは岐阜県神岡鉱山の地下1000mに位置し、全長16mの水槽に3000tの水を貯めて、そこを通過する宇宙線を観測する巨大装置である。

日本の素粒子物理学研究を世界的な地位に引き上げ、2つのノーベル賞を日本にもたらしたが、当初は3億5000万円もの建設費用を基礎物理学の測定に使うとは、と世間の理解が進まず、立案者の小柴氏は大変な苦労をしたという。

「巨大な施設にもかかわらず、設立メンバーはたった12人。小柴先生や戸塚洋二先生らのほか、若い大学院生やスタッフで構成されていました。空洞の掘削が終わり、水槽が設置されると、'83年の3月頃から、壁面に光電子増倍管を取り付ける作業が始まりました。

当時の神岡鉱山はまだ採鉱を行っており、私たちは鉱山のトンネルから坑夫の人たちと一緒に、ヘルメットを被って、同じ小さなトロッコ電車で坑内に向かっていました。

毎朝7時10分の便に乗って、坑内を水平に3㎞ほど進んだところにある事務所に行く。そこから5分ほど歩くと、ようやくカミオカンデに到着します。水槽中にボートを浮かべ、そこで来る日も来る日も、口径が20もある光電子増倍管を一つ一つ手作業で壁面に取り付けていきました」

どうなるかは神のみぞ知る

カミオカンデに設置された1000個の光電子増倍管は、10年から20年に一度しかない超新星からのニュートリノの光も捉えることができる特殊なセンサーで、一つ30万円もかかった。だが、小柴氏は、この特注品さえ粘りに粘って一つ13万円まで値切ったという。

「国民の血税3億5000万円を使うのだから、宝くじを買うみたいなプロジェクトにするわけにはいかない」と考える小柴氏に率いられ、若き研究者だった梶田教授たちもその熱意に引っ張られていったという。

「小柴先生の熱意に応えるため、私達も一生懸命働きました。坑夫の人たちは15時くらいになると、夕方勤務の人と交代するため、出坑するんですが、私たちは17時頃まで作業が続いた。何かトラブルがあれば、夕方勤務の坑夫の方々と一緒に22時30分の便で帰ることもありましたね。

もちろん当時は住み込みです。鉱山のアパートを2棟借りて、そこに5~6人で宿泊、食事やお風呂は隣の鉱山の寮にお世話になりました」

梶田教授たちの努力が実ってか、異例のスピードで建設は進み、'83年7月6日にカミオカンデは完成、データ収集が始まった。