長渕剛の『乾杯』を語ろう〜バブルの裏側をとらえた愚直な応援歌、大ヒットの理由

神山典士×田家秀樹×柳井満
週刊現代 プロフィール

神山 長渕さんには人生の応援歌が数多くありますが、やはり『乾杯』は珠玉だと思います。

「今君は人生の大きな大きな舞台に立ち」や、「君に幸せあれ」という歌詞が、ストレートに背中を押してくれる。励まされた人は多いでしょう。

這いつくばって生きる

田家 この曲の歌詞には、無駄な言葉が全然ない。装飾的な言葉も、比喩も少ない。このことを言うためにこれを言っておこうという伏線とか、作為性がない。思ったことがそのまま言葉になっているという印象です。

でも、無駄のない言葉のなかでとくに飛び込んでくるのが、「涙の言葉で歌いたい」という部分。

神山 詩的ですよね。私もその一節が好きなんです。「大きな喜びと少しのさみしさを涙の言葉で歌いたい」。私はこの歌詞に、長渕剛の人生を重ねてしまう。

田家 彼の熱情がこもった歌詞ですよね。

神山 吉田拓郎や友部正人といったフォークの先輩に憧れて、鹿児島から上京してデビューし、ヒットもした。それは大きな喜びだけど、はたして自分は昔自分が夢見た自分になれているのか、と考えると、少し寂しさも覚える。現実には困難もあるけれど、自分ができるのは歌うことだけなんだ、と。

柳井 30年ほど前、彼の家に何度か遊びに行きました。彼は、何もない時には、ポツンと家に一人いるのが好きだった。一日中家にこもり、自宅の目の前の蕎麦屋から「朝昼晩出前をとっている」と言っていましたよ。孤独も抱えた男でした。

田家 レコード会社から、「遅れてきたフォーク青年」とキャッチコピーを付けられた。本人は複雑だったでしょうね。先輩たちに憧れはあるけど、自分には自分のやりたい音楽がある。

神山 もともと、長渕さんは一度デビューしながら、自分のやりたい音楽ではなく歌謡曲をやらされたことで、九州に帰っている。そこから再び上京して、東芝EMIからデビューした。挫折が彼の根っこにあるんです。

その後も次男・三男の扱いで、私自身も、長渕剛より、兄貴分の拓郎や井上陽水に注目していました。私がはじめて長渕剛を知ったのも、学生時代に見た'79年の拓郎の篠島コンサートです。

田家 今でも語り草になっているコンサートですね。私も見ていました。

神山 拓郎目当ての客から、長渕さんは「帰れ、帰れ」と石を投げられて。

田家 彼は「オレの歌を聞きたいという人間がいる限り、帰らんぞ」と言って、ギターの弦を切りながら、歌いきった。見事でした。

神山 私は、その時は、まだ長渕ファンにはならなかったんですよね。

柳井 どのあたりでファンになったんですか。