江戸時代は誰もが、60キロの米俵をヒョイと持ち運んでいた!~なぜ私たちは「身体」を見失ったのか?

独占・最強インタビュー(3)
光岡英稔, 尹雄大

なぜトレーニングに取り憑かれるのか?

−−私たちの生活環境は自然と直接的に結びついておらず、情報によって形成されています。現実と呼んでいるもののほとんどは「概念」です。ウエイト・トレーニングも一見すると体を使っていながら、「理想の体」を追求しているのですから、概念的な行為と言えます。

自分が思い描いた理想と目的に自分を合わせようとする。ウエイト・トレーニングがまさにそうです。それが概念で構築した身体でしかないのは、「理想と目的通りの自分になりたい」といった心理傾向、精神構造がもたらしているからです。

概念は想像の枠内のことだから、やろうと思えばいつまでも何処までもやれて制限がない。だからトレーニング中毒になる人も多いし、「怪我をする」といった身体からの信号も無視できてしまう。

しかし、体のほうは「関節はここまでしか曲がらないし、ここまでしか伸ばせない」といったような制限があったり、頭が決めるペースではなく身体のペースやリズムといったバイオリズム(生命のリズム)があり“いつまでも何処までもできないよ”と体が教えてくれます。でも概念はいくらでも想像で飛躍できるからきりがない。

トレーニングに取り憑かれた人は、「一日でも休んだら筋肉は衰える。トレーニングを毎日行わないと現状維持できない」といった脅迫観念で続けている人も少なくありません。こういう発想も想像上のことです。なぜなら、それは現状維持ではなく過去の持続を試みているからです。

「トレーニングしないとこれまでという持続性がなくなる」という不安で、つい翌日も同じことをするわけです。

−−しかし、過去は過ぎ去ったことで持続のしようもありません。持続しようのないものを願えば、いっそう不安になります。

根本的な自信のなさと不安は現代人の身体観の特徴です。

「明日もまたやろう」という取り組みが、不安からではなく前向きなもので、しかも労働や仕事に向かうならまだいい。たとえば田んぼを耕さないと来年の米が収穫できないのは、不安になりようもない、どうしようもない現実です。それに意気込みが向けられたら、実りもあるでしょう。

でも脅迫的な思いをトレーニングに向けたところで、不安が解消することはなく、確認できるのはせいぜいが筋肉の太さや持ち上げられるウェイトの重さくらいです。その反面、不安や脅迫観念は積もる一方です。

−−光岡さんご自身は、ウエイト・トレーニングを経験したことはありますか?

ハワイにいたころ、試しに2年間だけ当時最新式のトレーニングを徹底してやりました。始めた当初はやっていくうちに前よりもっと重たいものを持ちあげられたらいいぐらいに思っていたのですが、武術の稽古中に怪我をしやすくなりました。突き指したり、肩が脱臼したりと節々がどんどん弱くなる。

一般的には、ウエイト・トレーニングはいいと言われていたし、周りもそうだと言っていました。確かに見た目は筋肉がついて強そう見えていても、私の実感はそれとは真逆で身体がどんどん弱くなって行き気持ちも不安定になって行きました。

そうしたら、周囲の人が「最近いいのが手に入ったんだけど、そういう弱さを克服するにはこれがいいよ」とステロイドやホルモン剤を勧めてきました。素人同士が売買するのは非合法のものです。

ハワイの田舎のジムの方にまで普通に出回ってるんですよ。当時のアメリカでは筋力を鍛えることによって得られる強さは、ステロイドなどの薬を伴うというのがトレーニング界隈で常識になっていたわけです。

行き着く先が薬物だとわかり、拍子抜けしたのと、この業界に対する気持ち悪さも生じて、トレーニングを止めました。