柔道、ラグビー、組体操・・・青少年のスポーツ事故はなぜ減らないのか? ~感動の誘惑に負けず正しい情報の共有を

青少年スポーツ安全推進協議会 基調講演より
佐藤 慶一 プロフィール

「棄権する美学」があってもいい

2014年11月に開催されたフィギュアスケートのグランプリシリーズにおける、羽生結弦選手の練習中の衝突・転倒事故だ。ラグビーや柔道と違い、体の接触がない競技でさえ、衝撃的な事故が起きてしまった……。

羽生選手はすぐに立てず、脳震盪の疑いが強まった。「脳震盪とは頭部打撲を受けたあとに起こる神経症状の変化のこと。場合によっては頭痛が起きたり、ふらついたり、興奮したり、多弁になったりするかもしれない。一言でいえば、『その子らしさではない』と思ったら脳震盪だと考えていい。少しでも疑いがあるならば脳震盪の基準で選手を扱うべき」(脳神経外科医の野地雅人さん)。

それでも羽生選手は演技に臨んだ。日本スケート連盟・伊東秀仁フィギュア部長は「頭を打っていなかったし、医師のゴーサインもあった」とした。結果的にこの強行出場は美談となってしまった。最後の砦であるドクターの判断でさえ、連盟や選手の意向に逆らえない場合もあるため、ガイドラインやプロトコルの作成が急がれる。

あのとき、なぜ羽生選手を止められなかったのか?

「やはり、国民からの大きな期待があれば棄権しづらいだろう。一方で、危険な状態での超人的なパフォーマンスが感動を呼ぶことを選手は知っている。棄権するのは根性がないと思われるのも問題。スポーツの世界では満身創痍であることが(戦う)美学になってしまっているが、チャレンジの前に死のリスクがあることを、指導者や教師らが伝えなければいけない。

戦う美学があれば、棄権する美学があってもいいのではないか。いまの状況がどれくらいのリスクに置かれているのか、危険度などの指標を設けて正しく認知する必要がある。また、メディア側は事故を大きく伝えていない。スポーツ現場で安全指導が徹底しないのはこれらの背景がある」(溝口さん)

最後に情報のプラットフォームの必要性を強調した。

「一部の競技団体でなく、医者や弁護士など多様性のある横のつながりをもち、問題を顕在化させ正しい分析をおこなっていくこと。閉塞的な空間では一方的な情報に偏り、競技特性や競技美学の名のもと誤った認識でトレーニングしてしまう」(溝口さん)

ラグビーの競技復帰プロトコルを柔道が参考にしたように、各競技団体の間でのルールや慣習の差異を認識することから、スポーツ事故の防止がはじまる。

重大事故の原因は「不可抗力」ではない

内田良さん(名古屋大学大学院准教授)。著書に『教育という病 子どもと先生を苦しめる「教育リスク」』など。

続いて講演した内田さんは、スポーツ事故について、「一つひとつの事例を見ていき、エビデンスに基づく冷静な分析が必要。『仕方ない』で終わらせずに、問題かもしれないと考え、もし問題ならば実態を解明し、解決できる期待や想定を検討したい」と述べる。

内田さんは2006年ごろから、日本スポーツ振興センターの刊行物(学校で起きた事故事例の報告書)を取り寄せ、過去30年ほどの事例をカードに分類し、分析してみたという。

そのなかで目立ったのが柔道事故だった(詳細は『柔道事故』にくわしい)。学校の全事例を整理していても、柔道事故ばかり。そのプロセスや要因は「投げられて頭を打ち、急性硬膜下血腫で死亡」(実際、過去20年の中学高校の部活動における死亡率は柔道がトップとなっている)。

「危険性を報じないから、だれも訴えないから、事例がコピペのように続いてきた。これまで各競技団体が独自の方法・基準で収集した事故情報は内部に閉ざされている。だから、競技横断で同一の方法や基準のもとで研究していくことが必要ではないか」(内田さん)

全柔連も少しずつ変わりつつあるようで、内田さんは『柔道の安全指導』という手引きでの記述の変化を紹介した。

2006年版には「(重大事故の)原因はほとんどが不可抗力的なもの」とされていたが、2011年版では「重大事故に直接結び付くと考えられる頭部・頸部の怪我の予防とその対応について具体的に提示」と改訂され、「解決できるもの」との認識に変わった。実際、翌年2012年から2014年にかけては死亡事故がゼロだった(2015年には福岡市の中学校と横浜市の高校で死亡事故が起きてしまったが)。