ドキュメント・山口組「分裂の始まり」〜すべてを知る親分が私に語ったこと

溝口 敦 プロフィール

誰が分裂劇の絵を描いたのか

〈そんな中で今の六代目体制に納得していない人間たちもいるわけです。その人間たちが密かに集結し、新しい山口組を作り直すために会合が行われているのです。今回、弘道会の竹内(照明)氏が(山口組の)幹部になり、いくらもたたないうちに(若)頭補佐に上がりました。執行部入りです。

このままでは七、八代目まで名古屋(弘道会のこと)に主導権を握られてしまう。誰の目にも明らかです。ここはもう一度座布団を取り戻すしかないと謀反の計画が進められているのです。

そのメンバーをリークします。現在も週に1〜2回神戸を出た後に密かに集まり、会議が行われています。そのメンバーです。(メンバー名は略す)〉


この手紙に目を通して、私はインチキではないまでも、山口組の直系組長ではない下位の組員が書いたにちがいないと見た。文中、蜂起側に立つとはとうてい思えない名前が3人も含まれていたからだ。

今だからいえることだが、私の判断は二人については正しく、一人については完全に間違っていた。間違ったその一人とは〈この会の議長が宅見組の入江氏〉の部分である。

元の山口組総本部長・入江禎氏は司、高山両氏による山口組の絶対支配を助けた協力者、出身は弘道会ではないが、むしろ弘道会側に立つ人と私は見ていた。そういう入江氏が蜂起側に加わるはずがないと思い込んでいた。

しかし今、神戸山口組側に話を聞くと、山健組・井上邦雄組長を口説き落とし、蜂起に加わる腹を最終的に固めさせたのは入江禎氏だったという。

「だから入江さん、なかなかやるなと、こっちでは評判がいい。彼はわれわれの目論見を成功させるために絶対必要な人でした」

では、誰が入江氏や井上氏をリクルートしたのか。蜂起・分裂劇で絵を描いたのは山口組舎弟だった俠友会(淡路島)寺岡修会長だという説が流れた。正木組・正木年男組長(六代目山口組で若頭補佐、中部ブロック長、本家室長)という説もある。