武田砂鉄と藤原新也が語る「わかりやすさ」への抵抗感
〜現在を躍進させる「言葉」を取り戻せ!

佐藤 慶一 プロフィール
藤原新也(ふじわら・しんや)
福岡県門司港出身。写真家・作家。東京芸術大学油画科を中退後、インドを中心として世界を放浪。著書に『インド放浪』『全東洋街道』『東京漂流』『メメント・モリ』『乳の海』『アメリカ』『コスモスの影にはいつも誰かが隠れている』など多数。 http://www.fujiwarashinya.com/

「文章を書くうえで、こうやったら読者にわかりやすいだろうと、交通整理をしすぎるべきではない、と感じています。誰しも自分の頭の中で考えていることは混沌としているし、その瞬間ごとに飛躍を繰り返しているはずです。今回の本では、その変化をそのまま文章に落とし込んでみる方法を探索しました。

読む人に配慮して、サービス精神ばかりが目立つ文章は、尖っている言葉を丸くする行為にも思えます。『これくらいなら分かってくれるでしょ』と読者をナメていると感じることも多い。世の中にいたずらにあふれる言葉を考察するこの本では、考察を展開していくときに、『1』の次に必ずしも『2』が来ないような構成を徹底しました」(武田氏)

このような意識で書かれた文章に対して、「いまだに完全には把握できないが、本の表面のいたるところで言葉がきらきらと光っていた。覗き込むと、社会に対する自分なりの眼差しが潜んでいる。未完成ならではの可能性を評価した。言葉を通じて今の社会にどう向き合おうとしているのか、態度が明確で、その反骨心が気に入りました」と藤原氏。対して、武田氏は自身のスタンスをこう説明する。

「この本ではいろんなトゲを配置しましたが、そのすべてに納得する人はいないと思います。今、自分が読み返していたって『これは違うだろ』と感じるところがある。しかし最初の動機として、トゲを削りとってまで提出する必要はないという考えがありました。特に3.11以降、個人個人が揺さぶられる事案が相次いでいますから、それを積み重ねるように書いていけば、自然と抗っていく姿勢ばかりが並びました」(武田氏)

武田砂鉄(たけだ・さてつ)
1982年生まれ。ライター。東京都出身。大学卒業後、出版社で主に時事問題・ノンフィクション本の編集に携わり、2014年秋よりフリーへ。「cakes」「CINRA.NET」「SPA!」「Yahoo!ニュース個人」「beatleg」等で連載を持ち、多くの雑誌、ウェブ媒体に寄稿。インタビュー・書籍構成も手掛ける。本作が初の著作となる。 http://www.t-satetsu.com/

平等を装った表現は責任回避につながる?

「読者へのサービス」――冒頭の言葉を借りるなら「肌触りのいい言葉」の多用――はウェブメディアの記事でとくに目立つ。両氏はそのような言葉に抵抗を示した。

人それぞれに目線の高さ・視線の角度が異なるのに、いたずらに画一化することの不自然さ。ポリティカル・コレクトネス、放送禁止用語、事件報道における「さん付け」……様々な現場で、いつの間にか同化の振る舞いが自動的に徹底され、方々に配慮された言葉が流れていく。

「言葉は行動を規定するし、言葉が社会を変えてしまうことがある。情報化社会ではなおさら言葉が重要になる。武田砂鉄という作家は、言葉の使い方を考察することで、画一的な思考にあふれる社会を変えようと行動した。今という世界に言葉で向かい合っている。この本はノンフィクションの新しい形だと思っています」(藤原氏)

「言葉というのは、他者に侵入しながら関係性を築いていく役割を持ちます。しかし、とりわけ昨今の政治家の口から出る紋切型の言葉は、関係性をシャットアウトする機能を果たしています。

それは言葉の力量をものすごく軽視する行為で、言葉が拓く可能性自体を潰してしまっている。彼らにしてみれば『してやったり』かもしれないが、言葉はそんな簡単な役割のためばかりに使われるべきではない。

彼らがシャットアウトしたつもりでも、裏口からは入れるかもしれないし、遮る壁は実は燃やせるかもしれない。高みにいる発言者が『強い言葉』を振りかざせば、ぼくらは頷いてしまうこともあるけれど、それを気にせず叩いてやろうという気持ちが強くあります」(武田氏)