なぜ勝新太郎は、日本人に愛され続けたのか
~最後の弟子が明かす、「昭和最後の豪傑」の素顔

田崎健太『偶然完全 勝新太郎伝』

内館を怒らせた勝

『週刊ポスト』のほとんどの記事は、現場を取材した記者が書いたデータ原稿を元に、社員編集者が構成を考え、アンカーマンと呼ばれるフリーランスの書き手が記事にまとめていた。この対談も、録音テープを文字に起こしたものを元に、ぼくが構成してアンカーマンに原稿を依頼した。

上がってきた原稿は面白かった。週刊誌の記事としては悪くない。まず内館に見て貰おうとファックスを送ると、すぐに電話が掛かって来た。
「あなたが書いたんじゃないでしょ?」

彼女は週刊誌の記事の作り方をよく知っていた。

「現場にいなかった人が書くとニュアンスが違うわね。これじゃ、勝さんに見せられない。今からやり直してって、頼み直すのもね……私が書き直すわ」

内館は脚本家として、多くの仕事を抱えていた。そんな中、自らが書き直すというのは、あの場所に居合わせた面白さを伝えたいという気持ちからだろう。

数時間後、内館から送られてきた原稿は、あの場の空気が上手く取り入れられていた。さすがですねと思わず感想を漏らすと、
「私は、OL時代、対談の記事をずっと書いていたのよ」
と返した。内館は、脚本家となる前、三菱重工業に勤務し、広報誌に携わっていた。そして、彼女の書き直した原稿を勝プロに送ることにした。

ところが翌日、編集部に行くと、ぼくは頭を抱えてしまった。勝が細かく書き込みを入れた原稿がファックスで送られてきていたのだ。妻の玉緒に配慮したのだろう、特に女性に関する部分が削られていた。勝プロに電話を入れると、勝はどうしても原稿を直して欲しいという。

とにかくすぐに内館に連絡することにした。すると「どうしてなの」と不平をこぼしながら、「勝さんだから仕方がないね。でもこういうことは普通はないことだって勝さんにちゃんと伝えておいてね」と我慢してくれた。

この時ぼくは勝と仕事をすることの厄介さをまだ理解していなかった。

明日公開予定の後篇に続く

田崎健太(たざき・けんた) 1968年京都生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、99年に退社、ノンフィクション作家に。近著に『真説・長州力』『球童 伊良部秀輝伝』などがある。早稲田大学スポーツ産業研究所招聘研究員

著者: 田崎健太
偶然完全 勝新太郎伝
(講談社+α文庫、税込み961円)
こんな痛快な男はもうどこにもいない!最後の「弟子」が描く、「最後の役者」勝新の真実とは---。吉田豪による解説がついた豪華文庫版

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