なぜ勝新太郎は、日本人に愛され続けたのか
~最後の弟子が明かす、「昭和最後の豪傑」の素顔

田崎健太『偶然完全 勝新太郎伝』

内館がつけた連載タイトルの意味

勝はぼくをじっと見た。

「行ってはいけない道があるとする。どうしてなんだと聞いても理由は分からない。ただ、この道を行って帰ってきた人はいないという。じゃあ、行ってみよう。それが俺なんだ。行って落っこちてもいい。でも行かないと落ちるということも分からない」

勝の大きな目は綺麗で、吸い込まれそうな目とはこんな目のことを言うのかと思った。

「落ちることもあれば、道を踏み外すこともある。踏み外して、ここをぶつけたとする」
勝は膝を叩いた。
「痛いという顔をしちゃいけないんだ。痛いという顔をしてもしなくても、どっちにしろ痛いんだから。そんなら、この痛み大好きっていう顔をするんだよ」

ハワイで逮捕されて帰ってくる時に、強気の発言で通したのは、こういう気持ちだったのだろう。

「痛み、失敗というのは大切なんだよ。人間は自分が痛い思いを経験するから、人の痛みも分かる。情を知る訳だ。情を知ると、自分が不幸になっても人には幸せになって欲しいと思うようになれる。少しぐらい自分が不幸になってもいいという考え方が出来るようになる」

仕事中であるので、ぼくは酒を控えるつもりだった。ところが「飲めるんだろ」と勝からすすめられ、ぼくはグラスを重ねた。黄金色のしゃぶしゃぶ鍋で食べる肉は美味だったはずだ。しかし、その記憶はほとんどない。とにかく勝の話に聞き入っているうち、あっという間に二時間以上が過ぎた。

「今後は、ぼくが勝さんのところに伺って、お話を聞きます。色んな質問が来ると思います。中にはつまらない質問もあるかもしれません」
最後にぼくが言うと、勝は小さく頷いた。

「そういう質問もあるだろうな。落ち葉は秋風を恨まないって知っているか?」
「落ち葉は秋風を恨まない?」
「そうだ。この間の座頭市の映画でも科白に使った。風が吹かなければ、落ちなかったのにって恨む人間は多い。でも落ち葉は恨まない。人間っていうのは、何か恨むところが欲しいんだ」

一つ一つの言葉が面白かった。今まで会ったことのない種類の人間だった。多くの人間の例に漏れず、ぼくは初対面から彼に惹きつけられてしまった。

人生相談のタイトルは内館がつけてくれた。
〈何処で果てよと〉
何処で果てよと誰が泣く──歌の一節にもなっている、座頭市の生き様を表した言葉である。