なぜ勝新太郎は、日本人に愛され続けたのか
~最後の弟子が明かす、「昭和最後の豪傑」の素顔

田崎健太『偶然完全 勝新太郎伝』

「俺は絶体絶命のところで遊びたい」

ぼくが連載班に配属されると、脚本家の内館牧子と勝との対談記事を掲載し、翌週から連載が始まることが決まっていた。対談場所は溜池の交差点に近い、しゃぶしゃぶの店だった。

7月に入って、気温は30度を超える日が続いていた。この日も暑く、太陽が落ちても道路は熱を持っていた。むっとした空気をくぐって地下の店に下りていくと、すでに内館が待っていた。

「『不知火検校』はすごかった。勝さんに会えるのならばと一時間も前に着いていたのよ」と彼女は興奮気味だった。

勝は94年5月から6月に掛けて、十年ぶりの舞台となる『不知火検校』を銀座のセゾン劇場で上演していた。ぼくたちが会ったのは、その直後だった。

勝は約束の時間を少し過ぎてゆっくりと階段を下りてきた。ハワイから帰ってきた時と同じように、つばの広い帽子を被っていた。白い柔らかそうな生地のシャツを第二ボタンまで開けて、メキシコ映画の登場人物のようだった

「俺としゃぶしゃぶか? 一つ〝シャブ〟が多いんじゃないか?」
にっこりと笑うと、席に着いた。サングラスを外すと大きな目が印象的だった。

「勝さん、今度『ポスト』で人生相談を始めるんですって?」
内館が口を開いた。
「知らないよ。人生相談なんて、俺がお願いしたいもんだよ。執行猶予四年の俺に人生相談するというのが面白いと思って引き受けたんだ」
勝は笑った。

「捕まった時、反省した顔をしなきゃいけないと思って、鏡を見た。反省した顔ってどんな風だろうとやってみたんだけれど、どうも上手くいかない。俺は反省に向いていない顔をしているんだな」

内館は勝の著書『俺 勝新太郎』を取り出した。「この本の中に凄く好きな文章があった」内館は本を開くと、声に出して読み始めた。

「俺の人生は年がら年じゅう、切羽詰まっている。人生の落伍者にいつなるかと楽しみながら、心配して歩いてきた」

神妙な顔で聞いていた勝は、「そんなこと書いたっけ? 全然覚えていない」と冗談っぽく返した。

「人生を踏み外すのは楽しいと言う人は多い。いい格好してね。でも勝さんみたいに、心配してとはなかなか言えない。ここが逆に男っぽくて素敵だった」
「あのね、人生っていうのは、俺から見りゃ、東海道を歩いている人の方が間違っているんだよ」

「東海道ですか?」ぼくは口を挟んだ。

「そうだよ、あの東海道だ。広くてみんなが通る道だよ」

東海道というのは、誰もが安全だと思う生き方を表しているようだった。

「こういう風に、いつ落ちるか分からないところに自分を置くとする」
勝はビールが入っていたグラスを手に取ると、底が半分以上、テーブルの外にはみ出すように置いて、ゆっくりと手を離した。

「落ちますよ」
内館が小さく叫ぶと、勝はグラスを両手でさっと掴んだ。

「こういう風になった時の遊びがしたいんだ。絶体絶命のところで遊びたいの。子どもの頃から、高所恐怖症なのに断崖絶壁みたいなところに行くのが好きだった。もう、これ以上後ろには行けないという時に遊ぶ。これをやったら落っこちちゃうなんていう時に、わくわくしてくるんだね」