ノーベル賞受賞 ゼロから学ぶ、大村智教授が開発した「薬」のすごさ

人類と寄生虫の闘いの歴史
佐藤 健太郎 プロフィール

徳川家康も、おそらく寄生虫に悩まされた一人であった。

よく家康の死因は、鯛の天ぷらによる食中毒といわれるが、胃がんではないかとする見解もある。家康は腹部にできたしこりを、サナダムシの塊と自己診断したが、これが実は胃がんではなかったかという説だ。この時代、腹中に寄生虫がいるのはごく当たり前のことであり、家康の誤診も無理からぬことであった。

一方ヨーロッパにおいては、大航海時代における新しい民族との接触が、寄生虫の広がりをももたらした。

さらに18世紀に始まる産業革命によって、人々は歴史上かつてないほどの過密状態で住まうことになり、この期間に各種の寄生虫も蔓延した。川や池に流された糞便やごみに潜む寄生虫が、生活用水を介して広がっていったのだ。

人類が、地球上に広く分布し、密集して暮らすというライフスタイルを選んだ以上、他の種よりも多くの寄生生物を抱え込むのは必然であった。

こうした状況に変化が訪れるのは、19世紀に入ってからのことだ。大きなきっかけになったのは、何度か繰り返された世界的なコレラの大流行といわれる。この対策の過程で上下水道の整備が進められ、清潔の重要性が広く認識されるようになった。

また細菌学の発達も、衛生観念の広がりを後押しした。こうした中で、寄生虫も徐々に駆逐されていく。

日本人が回虫・蟯虫などと縁を切ることができたのは、戦後になってが下肥(しもごえ)が使用されなくなったことが大きい。戦前まで、日本人の6割は回虫を持っていたが、近年ではほぼゼロに近づいている。

誰しも記憶にあるであろう学校での蟯虫検査も、ついに平成27年度限りで基本的に廃止されることになった。こうした衛生環境改善の努力が、感染症の追放、平均寿命の延長に大きく寄与したことは疑いを容れない。