在宅死、病院死。幸せな「最期」を迎えるにはどちらがいい?
~究極の難問。答えを出した人たちに聞いた

週刊現代 プロフィール

ただ、すべてを娘がやっていては根を詰めてしまうので、食事はヘルパーさん4人でシフトを組み、面倒をみてもらいました。

父には老人ホームなどの施設の資料を見せたこともありますが、見ず知らずの人と一緒に生活できる性格ではなかった。正直言えば、施設に入るよりカネはかかったと思います」(次郎氏)

次第にベッドに横たわる時間は長くなったが、映画の構想のため常に頭を働かせていたという。

「食は細っていきましたが、最期まで自分で食べていました。死の前日の晩も、映画を撮影する夢を見ていたようで、『ここは英語と日本語で2回撮るよ』と寝言で言っていたそうです。

最期は定期的に診てくれていた訪問医が看取り、老衰と死亡診断書も書いてくれました」

次郎氏は、そう穏やかに語った。「父の最期に憂いがないのは、しっかり送ってあげられたという思いがあるからです」

約束は守りたい、でも…

ただし、すべての人が、新藤監督やその家族のように、納得できる看取りや、最期を迎えられるわけではない。看取る側、看取られる側が共に在宅死を望みながら、叶わなかったケースもある。千葉県在住の主婦・杉森栄子さん(66歳・仮名)が言う。

「独り暮らしをしていた母は、83歳で大腸がんを患って手術しました。お医者様からは、余命は半年と言われました。最期は住み慣れた我が家で死にたい。ことあるごとに母は私にそう言っていたので、在宅で介護を続けることにしたんです」

杉森さんの母親は、ヘルパーや訪問診療、訪問看護を利用しながら、半年どころか3年間を我が家で過ごすことができた。

「でも、母が少し風邪をこじらせて入院したところ、心身ともに一気に弱ってしまったようで、病院で『家に帰る自信がない』と言い出したんです。

大丈夫よ、家でみんなで交替で看るから、と何度も説得しました。でも、母はうんとは言わず……。

いま考えると、やっぱり私たち家族に遠慮していたんだと思います。結局その後すぐ、病室のベッドの上で眠るように亡くなりました」

それは、本当に母にとって幸せな最期だったのか。亡くなって4年が経ついまでも、杉森さんの頭からは苦悩が離れない。

「もしあの時、無理にでも連れ戻していたら、本人の『最期は家で』という願いを叶えてあげられたのではないか。そうふと考えてしまうんです。ずっと相談に乗っていただいた訪問看護の方は、『あなたは間違ってなかった』と言ってくれました。でも、どこかで違った道があったんじゃないかって」