[プロ野球]
上田哲之「秋山翔吾と真中采配――出現する才能について」

スポーツコミュニケーションズ

 その一方で、実はセ・リーグの場合、巨人、阪神という名門2チームの空洞化が進んだ年でもあった。巨人で言えば、杉内俊哉や内海哲也、山口鉄也、あるいは村田修一ら、ここ数年、屋台骨を支えてきた戦力に陰りがみえる。それはまあ、時の流れで仕方のないことだが、その代わりに誰か、出現したと言うにふさわしい才能はいただろうか。事態は阪神も同様で、たとえば、鳥谷敬はがんばっているけれども、今年「出現した才能」と言えるほどの選手はいない。

 これがね、恐ろしいことに、あの強いソフトバンクは、巨人、阪神を尻目に、さらに「出現」させつつあるのですよ。たとえば、上林誠知。失礼ながら、彼が仙台育英高時代、話題の選手ではあったが、プロで活躍できるとは思わなかった。まさか逆転満塁ホームランを放つようなど派手なデビューを飾るとは。お見それしました。

 おそらく、この出現は、必然なのだろう。ひとまず、ソフトバンクの育成システムの勝利と言っておく。

 コラムの題名に「哲学」を僭称しているので、たまには哲学っぽいことを書いてみよう。

 ジル・ドゥルーズという哲学者がいる。20世紀を代表する哲学者と言われ、『差異と反復』という有名な(難しい)主著がある。解説書もたくさん出ているけれど、個人的には小泉義之さんの『ドゥルーズの哲学』(講談社現代新書→講談社学術文庫)が好きだ。小泉さんはこの本で、ドゥルーズのいう「微分」に注目する。
<微分的なものは、理念的で潜在的である。見えないものである。思考するしかないものである>

 もちろん、前後もなく、ここだけ引用しても、なんのことかわからない。乱暴に言い直すことを許していただくなら、真の実在、まあもっといってしまえば、真実は、目に見えている現実そのものではなくて、そこに潜在し、思考することによってのみ現れる、というようなことであろうか。(「学術文庫」近藤和敬さんの解説も参考にしている)

 なにもドゥルーズを引っ張り出すことはないかもしれないが、「見えないもの、思考するしかないもの」という言葉に気をつけたいのだ。

 もちろん、ここからはドゥルーズから離れますよ。その上で、言いつのるとしたら、上林は、ソフトバンク球団全体の「思考すること」によって、出現したのである。

 秋山のバットを寝かすこともしかり、真中監督の采配もしかり。今年、おそらくは日本プロ野球の歴史の転換点に立つような才能が出現したのは、彼らの思考こそが、いわば野球の理想(イデア)を、われわれに顕在化させてくれた、ということではあるまいか。

上田哲之(うえだてつゆき)
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者