証券会社勤務から40代で料理家に転身。
NY在住25年、再婚・出産を経て切り開いた第二の人生

ニューヨークを舞台に「挑戦」する日本人――料理家・ひでこコルトン
公文 紫都

帰国後、念願のモルガン・スタンレー証券に入社

コロンビア大学を選んだのは、「日本人が少ない環境に行きたかったから」だと言います。当時から日本人の留学先として人気を集めていたニューヨーク大学には目もくれず、「ニューヨークに行ったら、絶対に日本人とコンタクトを取らない!」と、日本人が少ないコロンビア大学で語学の習得に専念しました。

留学を終え日本に帰国後、念願のモルガン・スタンレー証券に入社。そこでは、最初のご主人となるアメリカ人男性との出会いもありました。そしてめでたく結婚。その後、ニューヨーク本社から来ていたご主人の東京任務が終わるとともに、二人で渡米。再びニューヨーク生活が始まりました。

渡米を機に仕事を辞め、兼ねてから興味があった料理を本格的に勉強することにしました。

「本当はフランス料理に興味があったので、フランスに行きたかったんですが、ニューヨークに来ることになっちゃって。その時の私はアメリカ料理というものが何なのか、イマイチ理解できていなかったんですけれど、そうは言ってもここはニューヨークですからね。世界のトップシェフがいて、トップレストランがあるわけだから、まずはどういうものがアメリカ料理なのかを学んでみようと思ったんです。

それで、とことんアメリカ料理を勉強するために、CIA(カリナリー・インスティテュート・オブ・アメリカ。アメリカの老舗料理学校。ニューヨーク本校は、料理専門の教育機関では世界唯一の4年制学位を取得できる寄宿舎を備えている)に入り、そこでみっちり料理の勉強をしました」

しかし当時は、将来的に料理の先生になることや、レストランで働きたいという明確な夢があったわけではありませんでした。モルガン・スタンレー勤務時代、高級店での接待が多く、「20代後半だというのに、すっかり舌が肥えちゃって(笑)。ちょうどバブルの時代でしたから、まずドン・ペリニヨンを開けて……とそんな毎日を過ごしながら美味しいものをたくさんいただいているうちに、料理への関心がますます強くなっていったんです。ぼんやりと、学校を卒業したらフードビジネスに携われたら良いな……くらいには思っていました」。

フードビジネスへの漠然とした興味はありつつも、当時は結婚したばかり。幼いころに母を亡くしたコルトンさんにとって、自身が母になり、子どもへ愛情を注ぐことへの憧れは人一倍強く、家庭と子どもを持つことを最優先にしたいと考えていました。しかしそんな矢先、夫婦関係が破綻。5年の結婚生活に、ピリオドを打つことになりました。

フードビジネスに興味は持ちつつも、生活のために証券会社へ復帰

料理学校を修了し、自身の将来設計をし始めた矢先の離婚。「予定が狂ってしまいましたね。これはなんとか仕事を探さなきゃ! と思ったのですが、料理の仕事でキャリアがあるわけじゃないので、そちらの世界に進むとなると、しばらく下積みになります。生活がかかっていたので、それどころじゃないと、もともといた世界に戻ることを決めました」。

そして32歳の時に、UBS(スイスの投資銀行)ニューヨーク支店に入社。ここでは主に米国株のセールスを担当しました。

「株は好きでしたし、アメリカ中の会社という会社を知る機会があったので、おもしろかったです。それこそ、航空、フード、鉄鋼、ファッション、金融と業界も幅広く。当時の私は、株のセールスとしてアナリストをお客さんの元に連れて行ったり、日本の投資家のために会議も企画したりと、アメリカと日本の架け橋になるような業務を色々と手がけていました」

初めのうちは、日本人男性と2人でチームを組んでいましたが、パートナーの帰国が決まり一人になってしまったというコルトンさん。「だからもっとやり甲斐が出ちゃって。日本人もいなければ、女性もほとんどいない世界ですから、私燃えちゃったんですよね」。

仕事に夢中になり、気づけば10年が過ぎていました。ところでコルトンさんの中に、"日本帰国"という選択肢はなかったのでしょうか?