かねがね私は妻に「あなたは貧乏くさい」と言われている。
貧乏ではなく貧乏くさい。「貧乏」は客観的な状況だが、「貧乏くさい」は生活態度、あるいは人格を表わす形容詞。「くさい」というくらいだから周囲にも影響を及ぼすわけで、要するに迷惑なのである。
どこが貧乏くさいのか?
このたび私は襟を正して考えてみることにした。
例えば、妻に買い物を頼まれると、私は決まって「それはあるじゃん」と答えている。「甘いもの」にしても冷蔵庫にチョコレートがあったはずだし、ドレッシングにしても服にしても、大抵のものは「ある」。
「ある」のに買うのは損としか思えないのだ。
スーパーでも買うものより駐車料金が気になる。
近所のスーパーなどは「2000円以上のお買い上げで駐車料金は2時間無料」というシステムなのだが、これは2000円未満だと駐車料金が課せられるという罰ゲームのようなもので、1400円くらいしか買うものがなかった場合、無理してでも600円のものを買おうとし、そういう時に限って何も欲しいものがなく、あれこれ悩んだ挙げ句に2時間を超えてしまい、無駄なものも買った上に超過の駐車料金を取られたりする。
早い話、損したくない。損したくなくて損しているのである。
しかし、得することなどあるのだろうか?
と私は考えた。巷には「お買い得」「今ならお得」などの言葉が氾濫しているが、皆が得するならそれは通常のことであって「得」とはいえない。
通販番組では「さらにお得」が決まり文句だが、「さらにお得」というなら前の「得」は「損」になる。通常の上に「得」があるのではなく、その「得」が通常でそれ以外は損する。「さらにお得」の数だけ「損」が増えていくのだ。
ポイントカードも然り。「お得なポイント」などと盛んにいわれているが、カードを使えばそのまま私の個人情報をタダで渡すことになるので、その分損している。
しかし何かを買うともれなくポイントが付くなら、付けないと損する。ポイントが得なのではなく、ポイントカードを使わないと損する。
損したくないからポイントカードを使わざるをえないわけで、その「損したくない」気持ちを吸い上げるように、ポイントサービスが増殖しているのではないだろうか。