開高健と佐治敬三〜誰よりも高く跳ぼうとすれば土に額をこすりつけ、地をはう蟻をながめねばならない

【特別公開】北康利『佐治敬三と開高健 最強のふたり』
北 康利

名経営者と言われる人間には、ある種の“狂気”がつきものだ。万人が納得できるような経営戦略だけで競合他社を出し抜けるほど世の中は甘くない。それにしても彼の“狂気”はスケールが違う。

ビール事業が黒字化したのは平成20年(2008)のこと。サントリーという会社は実に45年もの長きにわたり、この事業で赤字を計上し続けたのだ。おそらく非上場のオーナー経営者でなければできなかっただろう。サラリーマン社長と多数決の役員会で、このような蛮行はありえない。

ではビール事業進出後、サントリーは凋落したかというと、その逆であった。

危機感は緊張を生み、社内を活性化させた。

「やってみなはれ!」

を合い言葉に、新規事業にも積極果敢に挑戦を続けた。

「もしサントリーがビール事業に進出していなかったらどうだったでしょう?」

ときおり、マスコミからそんな質問を投げかけられたりもしたが、そのたび佐治敬三は自信を持ってこう答えた。

「今ごろサントリーはどこかに消えてなくなってましたやろ」
  
昭和44年(1969)に創業70周年を記念して編まれた『やってみなはれ・みとくんなはれ サントリーの70年』(以後『サントリー七十年史』と略す)は、戦前編を山口瞳が、戦後編を開高健が執筆するという、同社の生んだ直木賞作家と芥川賞作家の手によるユニークな社史だが、そこに佐治敬三は、けっして平坦なものではなかったこれまでの日々を振り返りながら、万感の思いを込めて「この道ひとすじに」という文章を寄せている。そしてそのなかに、次のような一節があるのだ。

〈サントリー七十年の歴史は、いうならば、断絶の決定の鎖によって織りなされた絵巻物である〉

大波乱を巻き起こすような決断こそ、この会社の長い歴史の中に繰りかえし立ち現れる主題(モチーフ)であることを、佐治は“断絶の決定の鎖”という荘重(そうちょう)な言葉を用いて表現したのだ。

寿屋創業者の鳥井信治郎(とりい・しんじろう)は「赤玉ポートワイン」が売れに売れていたときに、あえてリスクの高いウイスキー事業への進出を決めた。

そして息子の敬三は、日本のウイスキーを世界の五大ウイスキー(スコッチ、アイリッシュ、アメリカン、カナディアン、ジャパニーズ)の一角に食い込むところにまで成長させる。

しかし彼はそれだけで満足しなかった。「サントリーオールド」の売り上げが世界一になろうというとき、あえてビール事業への進出を決断するのである。これこそは、佐治敬三が“第二の草創期”を現出するために下した“断絶の決定”だった。