開高健と佐治敬三〜誰よりも高く跳ぼうとすれば土に額をこすりつけ、地をはう蟻をながめねばならない

【特別公開】北康利『佐治敬三と開高健 最強のふたり』
北 康利

サントリーがまだ寿屋と呼ばれていた時代、佐治は失職中だった開高を拾い上げ、宣伝部のコピーライターとして、はたまた伝説のPR雑誌『洋酒天国』の編集長として活躍する場を与えた。

作家志望だった開高に、二足のわらじをはくことを許したのも彼である。おかげで開高は在職中に芥川賞を受賞することができ、本格的な作家デビューにつながった。

開高は佐治を必要としたが、佐治もまた開高を必要とした。やがて彼らは経営者と社員という枠を越えた友情で結ばれていく。

そんな二人の関係について、佐治は次のように述べている。

「弟じゃあない。弟といってしまうとよそよそしい。それ以上に骨肉に近い、感じです」(「佐治敬三『開高健へのレクイエム』弟よりもっと骨肉に近く非凡だった彼」『週刊朝日』平成元年12月29日号)

佐治が身を置いていたビジネスの世界もまた、人生を賭けた戦いの場だったが、中でも昭和38年(1963)のビール事業進出は、まさに“ビール戦争”と言っていいものであった。

ビール大手三社(キリン、サッポロ、アサヒ)による寡占の壁は難攻不落を誇っている。

その前にほとんどのものが挑戦する意欲を失い、たまに無謀なものが出てきても、みな野に屍をさらしてきた。

「狂気の沙汰だ!」

という声が内外からあがった。

それでも彼は、ウイスキー業界の覇者としてのプライドを賭け、それまでに培ったもののすべてをぶつけて三社の壁に挑戦していったのだ。

ところが参入当初のシェアはわずかに1.0パーセント。惨敗であった。

「ライオンになりたい! そしてキリンの足を食いたい!」

そう叫んで切歯扼腕した。