開高健と佐治敬三〜誰よりも高く跳ぼうとすれば土に額をこすりつけ、地をはう蟻をながめねばならない

【特別公開】北康利『佐治敬三と開高健 最強のふたり』
北 康利

もうずいぶん遠い記憶になってしまったが、世界のリーダーを自負していたはずのアメリカが、誇りも自信も一気に失ってしまう泥沼の戦争があった。

ベトナム戦争(1960〜75)である。

第二次世界大戦後、ベトナムは旧宗主国フランスとの戦いを経て、北緯17度以北のベトナム民主共和国(北ベトナム)と、以南のベトナム共和国(南ベトナム)という分断国家として独立を果たした。東西ドイツや朝鮮半島同様、米ソ冷戦の対立構造が反映された結果だった。

ところが昭和35年(1960)12月、南ベトナムのタイニン省において、反米、ベトナム統一を掲げた南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)が結成され、ベトナム人同士の内戦状態におちいる。

すると共産主義の脅威に対抗するべく、アメリカが介入してきた。“ベトコン”というのは、南ベトナム政府軍と米軍側が、彼らへの憎悪をこめて名づけた、言わば蔑称である。

だが、物量にものを言わせていくら砲弾を叩きこもうがベトコンは屈しない。

大規模なトンネルを掘って地下で生活するという前代未聞のゲリラ戦術で神出鬼没。なかには一般市民として生活しながらテロ活動をする者もいて、誰が政府軍側で誰がベトコン側か、まったくわからなくなる混沌(カオス)を作りだし、米兵たちを恐怖のどん底におとしいれた。

国家の威信をかけた戦いに、アメリカは第二次世界大戦において全世界で使用した爆弾の三倍以上の量を、ここベトナムに投下する。

悪名高いのがエージェント・オレンジ(枯葉剤)だ。

ベトコンが身を隠す場所を一木一草に至るまで排除するべく、ジャングルと言わず田畑と言わず、大量に撒いた除草剤のことである。

ダイオキシンなどの猛毒を含んでいたことから大地は汚染され、大量の奇形児が生まれた。その毒性の強さゆえ、直接触れなかったはずの米兵の精巣にまで影響を及ぼし、帰国後の彼らの子供にも奇形児が生まれるという悲劇を生む。

戦争は15年という長きにわたり、米軍の戦死者は約4万7000人(ちなみに朝鮮戦争の死者は約3万3000人)、北ベトナム側の戦死者は民間人をあわせると400万人を越え、南ベトナム側も150万人の人命を失った。

開高健は、朝日新聞社臨時海外特派員として南ベトナム政府軍に従軍しながらその最前線を取材するうち、ベトコンとの銃撃戦に遭遇するのである。危険な戦場に行ってくれと要請されたわけではない。あくまで開高自身が選んだ道だった。