『しんがり 山一證券最後の12人』愛する会社のために戦った男たちの、魂の言葉

「会社のことで、死ぬの生きるのということなんかないですよ」
書籍編集者 A

追い込まれた人間を一人にするな

彼は菊野や長澤、業務監理本部企画課付課長の虫明一郎たちを集めて言った。
「俺たちで面倒をみてやろうよ」

社長の三木たちは顧問弁護士を招いて、強制捜査への対策会議を開いている。その会議で、「業務監理本部長に検察サイドからの防衛を仕切ってもらえないか」という提案があったが、嘉本ははっきりと断った。

本社には企画室や法務部という部署がある。しかも、野村や日興證券では、業務監理本部関係者が証拠隠滅の疑いがあるとして追及されていた。山一でもギョウカンが仕切り役になれば、それでは会社ぐるみの犯罪という誤解をさらに深める結果になりかねない。

「業務監理本部長はその職責に照らして、企業防衛の調整役にはなれません」。そうは言ったものの、不測の事態が起きないように、取り調べを受ける社員の精神的ケアは一手に引き受けよう、と嘉本は思っていた。

金融界を揺るがす利益供与事件はすでに自殺者まで生んでいた。総会屋に巨額の融資をした第一勧業銀行では、元会長が六月二十九日、自宅で自殺していたのだった。元会長は連日のように長時間の取り調べを受けていた。

「人間は弱い。取り調べで追い込まれた人間を一人ぼっちにすると、自殺まで考えるよ。俺たちでケアしてやろう」

そのために、嘉本は塩浜ビルとは別に、山一本社十八階の一八〇一号室に業務監理本部の別室を確保した。社長室の二階上である。

この十八階には、深夜業務の社員や東京出張者が寝泊まりするための部屋がいくつもあった。その一つである一八〇一号室は2DKで、二つのベッドと冷蔵庫、小さな調理場が備えてあった。そこへビールや酒、焼酎、カップめん、乾きものを常備しておくようにした。さらに泊まり込むためにタオルや石鹼、茶碗、箸、包丁なども自腹で買ってきた。

窓の向こうには隅田川が昏く流れている。都会の真ん中の静まり返った部屋だった。隅田川にちなんで当初、「隅田クラブ」と名付けられたが、やがて、誰とはなしに「アジト」と呼ぶようになっていった。

午後六時過ぎになると、そこに嘉本や菊野、長澤が手の空いた順に詰めた。取り調べを受けた幹部や社員たちの悩みと愚痴に耳を傾けるのである。