タモリはいかにしてタモリになったのか?

故郷・福岡を歩いてわかったこと
近藤 正高 プロフィール

福岡は「捨てやすい故郷」

博多の地名の由来には、「船の泊(は)てる潟=泊潟」「港湾が博(ひろ)く、物資が多い=博多」「海岸線が鳥の羽を広げた形である=羽形」「日本の西の橋にある潟=端潟」と諸説あるが(梅林孝雄『福岡県地名考』海鳥社)、海岸・港湾を見立てての命名であることは間違いないようだ。

発売即大重版が決まった話題作『タモリと戦後ニッポン』。「読みはじめたら止まらない」糸井重里氏、「べらぼうに面白いです! これはタモリ史を巡る本として決定版ともいえる」てれびのスキマ/戸部田誠氏など絶賛の嵐!

拙著では、タモリが早稲田大学を中退していったん帰郷し、中洲のフルーツパーラーにバーテンダーとして勤めていたころ、よく店を抜け出して博多港に船を見に行っていたという証言も紹介した。のちに一級小型船操縦士免許を取得し、ヨットを所有するタモリだが、このころから船好きだったのだ。

古くより船が出入りし、外から来る人を受け入れてきた福岡は、一方で去る者を追わないどころか戻ってくる者も拒まない土地であるらしい。

かつてタモリは、同じく福岡県出身である劇作家・演出家のつかこうへいの「福岡は一番捨てやすい故郷」という発言に触れたうえ、次のように語っていた。

《失敗して故郷へ帰ったところでだれも特別には扱わない。そうか、帰ってきたか、飲もう飲もうって感じ。だから、スキをみて、また東京へ行く。失敗しちゃ帰ってくる。何度でも受け入れてくれちゃうんだな》(『週刊平凡』198351219日号)

いったん福岡に戻ってきたのち、山下洋輔たちとの出会いをきっかけに再び上京したタモリが言うだけに説得力がある。

タモリ二度目の上京は、よく知られるように、東京・新宿のスナック「ジャックの豆の木」で山下からタモリについて吹聴された常連客らが、そんな面白いやつがいるならぜひ呼ぼうと旅費を出し合ったことから実現した。それは1975年のことで、ちょうど新幹線が博多まで延伸したころだった。

生まれ故郷へのこだわりはあまりないともたびたび語っていたタモリ。しかし70歳となり帰郷して心境の変化はあったのかどうかも気になるところだ。

(文中敬称略)

近藤 正高 (こんどう・まさたか) 1976年愛知県生まれ。ライター。サブカルチャー誌「クイック・ジャパン」(太田出版)の編集アシスタントを経て1997年よりフリーランス。「ユリイカ」「週刊アスキー」「ビジスタニュース」「エキサイトレビュー」など雑誌やウェブへの執筆多数。著書に『私鉄探検』(ソフトバンク新書)、『新幹線と日本の半世紀』(交通新聞社新書)。現在、ウェブサイト「cakes」にて物故した著名人の足跡とたどるコラム「一故人」を連載中。ブログ:Culture Vulture(http://d.hatena.ne.jp/d-sakamata/)、ツイッター:@donkou