消えた元四番打者 広島カープ栗原健太の「現在」

【プロ野球特別読み物】
週刊現代 プロフィール

その日、1時間近く打ちこんだ栗原は、のちにこう振り返っている。

「『今日は帰りたい』と少しは考えました。でも、(落選を)頭で切り替えようと思っても、どうしても考えてしまう。だったら打とう、と無心でバットを振りました」

右ひじに抱えていた爆弾

広島で中心選手に成長し、日本代表にもなった。野球選手としてまさに輝ける日々だった。だがその頃すでに、栗原は体に「爆弾」を抱え、しかもその存在を隠していた。

「4番に定着する前年の'07年から、右ひじの痛みを我慢していた。'08年は痛みを押して大活躍したけど、結局こらえきれなくなってシーズン後に手術した。そこからですね、栗原の苦難がはじまったのは」(前出の担当記者)

栗原の右ひじ痛は、1度の手術で完治するものではなかった。その後、栗原は常に痛みを抱えながら、プレーを続けていくことになる。

プロ野球選手が体のどこかを慢性的に痛めることは、珍しくはない。だが栗原の場合、「だましだまし」痛みとうまく付き合うというプレーの仕方ができなかった。

爆弾が再び炸裂したのは、'11年だった。

開幕時に4番だったトレーシーがケガで6月に米国に帰国。かわりに4番に座った栗原は、右ひじ痛が日に日にひどくなっていたが、「自分が抜けられるチーム状態ではない」と周囲には隠し、薬と注射で痛みを抑えながら全試合に出場した。

だが、もう限界だった。シーズン終盤にはバットを振るときに痛みでひじをうまくたためなくなり、打撃の調子自体もおかしくなっていた。オフを過ごしても痛みは引かず、翌'12年4月、栗原は2度目の手術を決意する。

栗原のひじ痛は、打撃にどう影響したのか。栗原を指導した経験のある広島OBが説明する。

「ひじが痛いと、フォロースルーでひじが伸びない。ひじが伸びきらないまま、バットを返してしまうとボールが飛ばなくなり、それでも飛ばそうと思うと今度は余計なところに力が入ってしまう。その悪循環が、体に染みついてしまった。

栗原が好調の時はロングティーをやると、スタンドに打球がポンポン入ったのに、ひじを痛めてからは、スタンドの手前でおじぎして、飛距離も落ちてしまった」

'12年は手術後、シーズン終了まで二軍暮らしを余儀なくされる。その頃栗原は、ブログにこんな心境を綴った。

〈(治療のため)試合がない分、ほぼノーストレスで居心地がいい。でも慣れてしまってはいけない〉