「ナンパの達人」と「インタビューの名手」が明かす、コミュニケーションの極意

特別対談 聞き・書き・生きる(前編)
尹雄大, 高石宏輔

創発とリズム

――文章が生まれる時に何か特徴的な感じというのはあるのでしょうか。

:リズムです。うっかりしていると五七調になってしまうのですが(笑)。論理的にものごとを考えるとか書くことがよくわからない。ただリズムみたいなのは出てくるので、そこに言葉を載せていく感じです。といってもラップ調ではなく、講談とか都々逸といった和風です。

高石:僕の場合は、なんというか勝手に出てくるような感じがあります。

リズムでいったら、最近とくに心がけているんですけど、書く前に詩を読むようにしているんです。自分の場合はリズムに自分がのるとおかしくなっちゃうんです。だから自分のリズムを壊してくれるような詩を用意しておく。自分の感覚を切り裂いてくれるような詩をいくつか集めておいて、それを喫茶店で、頭の中で音読してずっと読んでいます。

そうすると、切り裂かれた中から新しいリズムが「ひょい」って表れるんです。それを書いていく。だから結局は自分のリズムで書くことになるんですけど、それを引き出すために自分とは違うリズムを持った物を持ってくるというか。そんな感じです。

書けることと、書けないこと

――尹さんは高石さんのご本を読んで、何か感じられたことなどはありますか。

:本当に似たような人がいるもんだな、と思いました。

高石:そうですか。

:大きな葛藤を抱えているところも似ていると思いました。それでいて体験への迫り方が絶妙に切り結ばない。ねじれの位置にあるという感じがします。

たぶん、高石さんの読者は、本を読んで救われたと思った人がかなりの割合でいらっしゃると思います。本を読む行為の中できちんと落ち付け所を示しているように感じました。やはり読者が見えているということなのでしょうか。僕は読者というものがよくわからないのです。最終的には自分のことしか書いていないので。

高石:僕はそう書けなかったんですよ。自信がないから。だからカウンセリングなんてものに手を出してしまったと自分では思ってるんです。

後悔があるんです。カウンセリングや催眠を勉強して身につけてしまったことに。尹さんの本を読んだ時に、それを強く思わされました。

:後悔ってどういうことですか?

高石:システマティックにしか書けないということに対してですね。だから、読者が見えているといえば見えているのかもしれないし、読者を見過ぎているのかもしれないし、読者を想定し過ぎたり、想像し過ぎたり。

あとはカウンセリングのノウハウを一回体に染みこませてしまっているせいで、人間というものはカウンセリングで把握できるものではないはずなのに、一つの把握する方法が身にこびりついてしまっているというか。

それが文章を書いていると現れてきて嫌になるんです。

尹さんの本を読んでいると、「これは一体何を根拠に言っているのだろう…!?」と思わされる。後半部分はとくにそうなんですが、この人はこんなに根拠のないことを言い切ったな……しかも紙の本として、この人はそれを出せるんだなって思ったときに、僕は自分を解体しなければならないと強く思いました。そうしないとこれ以上先に進んだ姿の文章が自分から生まれてくることはないだろうと。

そういう意味で自分はノウハウを身につけてしまっています。また、それによって自分は「こういう風にこうやっておけばOKでしょ」という平均値を出すことをやってしまいます。

それから、ナンパっぽく早口で話すこともできるし、矢継ぎ早にずっと人に質問し続けることもできます。それは身につけてしまったんだけど、一方で、既にできることだから、別にしなくて良いよねって部分に立てるところにいるのも事実です。だから、完全に悪いとは思っていません。

だけど、それが身にしみついてしまっている部分があって、文章を書いている時に、なんてことない「ただ思ったこと」が書けないという感じがあります。読んだ人にとって、この文章がどのように役に立つかっていうことをどうしても想像してしまうというか。それを全部排除したいんです。

けれども、それがなかなか難しい。

:根拠がないと書く上で困るということですか? 

高石:読んでくれた人の役に立たないと悪いなって思うんです。役に立たないと読んでくれないのではないか、とも思ってしまう。人間って固有の感覚があるじゃないですか。その感覚を言葉にできるというのは素敵なことだと思うんです。だけど、読んでくれなかったらどうしようというのがあるので、だから、役に立つようにちょっとパッケージングしておこうというこざかしい考えがあるんです。

:自分を見ていて思うのですが、自己承認欲求は思春期までに終わらせたほうがいいですよね。自分を受け入れて欲しいという気持ちと、受け入れてもらえなかったらどうしようという気持ちが互いを打ち消しあう。結局は空転することにエネルギーが注がれてしまう。