ナチ・ドイツと現代日本〜ヒトラーは「恣意的な憲法解釈」から生まれた

石田 勇治

ヒトラーは当初、過小評価されていた

ーー発足時、ヒトラー政権にナチ党員は3名しかいませんが。

ヒトラー政権はナチ党の単独政権ではなく、保守派の国家人民党との連立政権として発足しました。ナチ党から入閣したのはヒトラー首相のほか、フリック内相、ゲーリング無任所相だけです。ヒトラー政権は当初、やはり少数派政権で、大統領の大権に依存していたのです。

反ヴァイマル右翼運動を率いるヒトラーと野合した保守派は、それで何を達成したかったのでしょうか。答えは三つです。議会制民主主義を廃止し、共産党(マルクス主義)を撲滅し、強いドイツ(再軍備・軍拡)を実現することです。

これらはヒトラーが求めていたことでもあり、両者はこの目的のために手を組んだのです。これらが達成できれば、あとはまた大統領の力でヒトラーを政権から追い出せばよい。保守派はそのように高を括っていたのです。

ーー保守派に両脇をしっかり固められたヒトラーですが、それがどうしてヒトラー独裁へと向かうのでしょうか?

ヒトラーは当初、世間からも過小評価されていました。国政担当の経験がなく、専門的な知識もない、どうせ保守派の閣僚の手玉にとられてさっさとお払い箱になるだろうというわけです。

そんな甘い予想に反して、ヒトラーは一気に攻勢に出ます。国会を解散、選挙にうって出ました。

選挙戦の最中に大統領緊急令を出させて言論統制をおこない、国会議事堂炎上事件(33年2月27日)が起きるとこれを徹底的に利用して、共産主義者など左翼反対派を一網打尽にします。

そして言論・集会・人身の自由など憲法が定める国民の基本権をすべて停止したうえで政府の独裁権を求めるのです。国難危急にあたり「強い政府」が必要だというのです。

ヒトラーが目をつけたのが授権法です。授権法は全権委任法とも呼ばれ、政府に立法権を委ねるものです。これが成立すれば政府は国会から自由に、また大統領に依存することもなく法律を思うがまま制定できます。

じつはヒンデンブルク大統領も授権法の制定に賛成していました。ここ数年来の大統領統治には憲法違反の嫌疑が向けられており、ヒンデンブルクはそのことの精神的負担から早く免れたいと思っていました。議会制民主主義の限界を言いたてる与党の国家人民党も、自党の政策が容易に実行できる授権法の制定に意欲を示します。

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