発行部数という「魔物」に取り憑かれた大手新聞社の「暗部」を暴く

幸田 泉

余分な新聞は工場で印刷されるに止まらず、毎日、トラックで新聞販売店に輸送されている。だから販売店には、読者の元に新聞を届けた後も、店の中にまだ新品の新聞がたくさん残ることとなる。

この「残紙」が、集客施設でのサービス品になったり、食器の包み紙へと姿を変えるのだ。

「発行部数」という魔物

残紙はただ販売店に運ばれているだけではない。新聞社は残紙の分も新聞原価代金を販売店から徴収している。

そのため、大企業の新聞社が、立場の弱い個人事業主の販売店に押し売りしている「押し紙」だという観点から批判され続けてきた。押し紙を巡っては、これまで販売店と新聞社との間で何度も訴訟になったし、この問題を取り上げた書籍も一冊や二冊ではない。

私が販売局の所属になって知ったのは、押し紙によって販売店の経営が困窮すれば、新聞社は「補助金」という名目で販売店に金を払ってその経営を支えるしかなく、押し紙は単純な「大企業の下請けいじめ」とは違い、新聞社自らの経営に跳ね返ってくるということだった。

しかし、長年のこの悪習はいっこうに無くならない。販売局を伏魔殿扱いする新聞社そのものが、「発行部数」という魔物に取り憑かれているのではないかと思う。

現在、新聞業界は順風とは言い難い状況にある。長く続いた不況で、節約のために新聞購読を止める家庭や企業はとても多かった。デジタルニュースの爆発的な普及も、新聞を購読しない層を増大させた。

私は新聞社で働きながら、社は改革を迫られているにもかかわらず、発行部数を水膨れさせていることによって、非常に改革しづらい体質になっていると感じていた。

リーマン・ショックに見舞われた時、私は社内で管理部門にいた。収支改善策を検討する販売局の会議に参加したが、中盤からは会議を追い出された。おそらく私が退席した後、販売局員だけで残紙対策を話し合ったはずである。

販売局の隠蔽主義には憤ったが、残念なことに、会社全体としても部数の真相を踏まえたうえで改革に取り組もうとする姿勢は見られなかった。