二宮寿朗「アジアで勝てない現実から学ぶこと」

二宮 寿朗 プロフィール

敗戦で変わった岡田ジャパン

 2008年3月――。
 病で倒れたイビチャ・オシム監督からバトンタッチを受けた岡田武史監督は就任程なく南アフリカW杯アジア3次予選を迎えていた。2月のタイ戦に4-1で快勝したものの、アウェーのバーレーン戦に0-1で敗れてしまったのだ。最終予選前のラウンドで敗れたのは19年ぶりであった。

 岡田は怒った。選手たちに対してではない。自分自身に対してだ。のちに彼はこのバーレーン戦についてこう語っている。

「自分が本当に腹をくくったチャレンジというものをしていなかった。メンバーもこれぐらいで大丈夫だろう、とか自分のなかに甘さがあった。引き分けなら仕方がないと思っていたけど、まさか負けるなんて思ってもみなかった。負けたときは冗談じゃねえよ、と思ったよ」

 オシムジャパンのメンバーや戦術を踏襲しつつ、ゆるやかな移行を進めようと考えていた指揮官は「冗談じゃねえ」敗北で、ここから一気に“オレ流”に切り替えていくわけである。

 前線からのプレッシングなど岡田ジャパンとしてのチームコンセプトを明確にし、メンバーも見直しを図った。翌月の代表候補合宿には香川真司や長友佑都や次世代で代表の主力となる選手たちが呼ばれた。長谷部誠と遠藤保仁の攻撃的なダブルボランチも、このときに生まれている。

 指揮官が甘さを捨てて勝負に出ていくなかで、6月のオマーン戦を3-0で快勝した。過去3度の対戦で、いずれも1-0の接戦を演じてきた相手をねじ伏せたことで以降は順調に予選を突破し、危なげなく南アフリカ行きのチケットを獲得している。

 岡田はオマーン戦の前、選手たちにこう言ったそうだ。

「いいか、W杯予選というものは何回かヤマが来る。次のオマーン戦がひょっとすると一番のヤマかもしれない。もしこれを乗り越えることができたら、俺はW杯に行けると思っている」

 あのバーレーン戦の敗北を「たまたま負けただけ」と捉えていたら、もっとまずいことが起こっていたかもしれない。日本サッカーの歴史を自ら刻んできた岡田だからこそ、持つことができた危機意識とも言える。