それでもあの五輪エンブレムは”パクリ”ではない!
〜そもそもデザインとは何か?

河尻 亨一 プロフィール

今回のエンブレムでもしマズかった点があるとすれば、それはパクリ云々ではなく、このクリエイティブが「20世紀に属するもの(亀倉雄策的なもの)なのか、21世紀に属するもの(デジタルな世代の感性)なのか?」がハッキリしなかったところにある。

考え方としては前者で、やり方としては後者で作ってしまったために、天然の“サノケン(佐野研二郎)らしさ”がいまいち爆発せず、唐突で中途半端な印象を世間に与えてしまったのかもしれない。様々な事情を想像すると「なぜ、そうなったのか?」は推測できるが、世の中はそのあたりを存外見抜いてもいた。

デザインはいま、その高く高いハードルを超えること、時代をつなぐことが社会の無意識の中で求められている。そう考えると、佐野氏にはこれからやるべきことがたくさんある。同時代の一人として私は自分の能力の範囲で、彼と現代のデザイナーたちを行動で応援したい。

問題の根っこは、五輪に対するトータルデザインの欠如

もうひとつの議論の方向性は、オリンピックのようなグローバルイベントにおける「クリエイションのあり方」を再考する、といったことである。

たとえば五輪のエンブレムには、数十億人の人々が観戦する世界のスポーツイベントを束ねる象徴的機能がおのずと求められてしまうのであるが、そういった「大きな物語」を、大会コンセプトも曖昧なままでひとつのクリエイションに集約しようなんて、情報が基本的に一方的に伝わっていた1960年代ならいざしらず、それが自在に横展開を繰り広げる2020年においては、さすがにお題としてハードルが高すぎるようにも思える。

つまり、この問題の一番の根っこは、「五輪に対するトータルデザイン(全体戦略)がない」まま各セクターがバラバラに走っていることにあり、それは新国立競技場の問題ともつながってくることである。そういった矛盾のしわ寄せが、「五輪を盛り上げたい」という気持ちでコンペに応募したクリエイター個人に押し寄せるのは、いかがなものだろう? というのが本稿の結論である。

――となると後味もよくないので、最後に素晴らしいデザイン作品を見たい。前回の記事でも触れた田中一光氏(故人)による「JAPAN」と題されたポスターだ。「無印良品」というブランドをこしらえた方と言えば、デザイン関係者以外の方にも伝わりやすいだろう。

美術やデザインの教科書などでもよく紹介される名作、国宝「平家納経」の見返しに俵屋宗達が描いた鹿の画をヌケヌケというほど見事にトレースしている。このポスターが制作された当時は、ネットの画像検索などなかったわけだが、多くの人たちが元ネタを知っていたので、これは明らかに「わざと」かつ「あえて」なチャレンジである。

田中氏は琳派の美意識の伝統を自分の内側に取りこむことで、400年前の素材を生きたデザインとして現代によみがえらせ、次世代に伝えようとしたという。そんじょそこらのオリジナリティやモラルが吹っ飛びそうな、だれにも真似できない"究極のパクリ"とも言えそうだ。

先生は自著で次のように記している。

「東京オリンピックは、スポーツイベントの成功というばかりではなく、デザインのあらゆる分野でも画期的な成功をおさめた。亀倉さんのあの名作の誉れ高い三部作の公式ポスターもそうだが、『デザインポリシーの確立』という名目でJOC委員長竹田恒徳さんに毎日デザイン賞が贈られたのは、そういう成果が社会的にも認められたことだった。

オリンピックのポスターが亀倉さんに決まったのは、やはり読みの深さが違っていたからだった。デザインには形や色ばかりでなく、そこに社会と連動しながらおのずとにじみ出てくるものがある」(田中一光自伝『われらデザインの時代』より)。