『船場吉兆』息子が初告白!「ささやき女将事件」の舞台裏と家族再生の物語

~あれから7年。なぜ彼らは過ち、なぜ立ち上がれたのか

 月給15万円からの再スタート

会見後もしばらくは『船場吉兆』として商売を続けていましたが、失った信頼はなかなか取り戻せません。負債は8億円ほどに膨らみ、店を畳まざるを得ませんでした。08年5月のことです。

これで一家離散かな…。そう思ったこともありました。廃業後数ヵ月は、なにも手につきませんでしたね。貯金は、100万円を切りました。

ああ、これからどうやって生きていくのか。そう途方に暮れていました。

そんな時に、昔から懇意にしてくれた外食チェーンの経営者の方が「時間が余っているなら、うちの店を手伝ってくれ。『吉兆』で学んだ料理のイロハを生かしてほしい」と声をかけてくださったんです。08年秋のことでした。

月給は15万円。確かに、高くはありません。それでも、飛び上るほど嬉しかったんです。お金を貰って働くということの喜びを、もう一度かみしめたのです。

それを機に、人生の見え方が変わってきました。悩んでいても仕方ない、とにかく前を向いて歩こう。そう決意して、『(株)プラス思考』という個人会社を作りました。その外食チェーンで働いたことをきっかけに外食のコンサル業をはじめて、それで生計を立てていました。

飲食店の仕事を手伝ううちに、やっぱり自分でもう一度お店をやりたいという気持ちが強くなってきました。そこに、10年の秋に知り合いの不動産業者が「もともと小さな鮨屋だったところが空いたから、料理屋をやってみないか」と声をかけてくださったんです。

湯木尚二さん

大阪・難波に、6坪、カウンター6席の、本当に小さな店を開きました。もう一度心を改めて、やりなおそう。一生懸命、初心に戻って働きました。そうすると、少しずつ、お客様が来てくれるようになったんです。吉兆時代のお客様も、足を運んでくれました。

『あの時は大変だったね。でも、この味をみると、君の気持が伝わってくる。絶対にまたやり直せるよ』と声をかけてくださる方もいて。それが嬉しくて嬉しくて…。

次第に商売も軌道に乗って、おかげさまで現在、3店舗を構えるまでになりました(北新地の『日本料理 湯木本店』『日本料理 湯木新店』肥後橋『ゆきや』)。吉兆時代のスタッフも、何人か戻ってきました。みんな、もう一度やり直そう、と意欲に燃えています。