こんな人間いるよなぁと思うか。それとも、ただ愚かだと思うか。神経質な無頼漢を描く私小説、軽妙さを増した最新の短篇集

インタビュー「書いたのは私です」西村賢太

―「川むつ」は、素面だと控えめな貫多の心情投影にも見えますが。

ハハハ。そこまでは考えてはいませんでしたが、次に聞かれたらそう答えさせていただこうかな。あの水槽は、実際10年くらい前に買ったもので、金魚がいなくなった後も片付けるのが面倒でリビングに放置してあったんです。水も腐って、夏になると臭いも酷くなる一方だったので、数年前にようやく撤去しましたが。

秋恵と交わす金魚の飼育法は、専門家からしたら何てバカなんだと思われるでしょうが、記憶のままを書いています。これが私小説でなく、頭の中だけで作った作品だと飼い方を調べるんでしょうけど、そうすると僕が考える小説の面白さと違ってくるんです。

―貫多には「適度」がない。「よかれ」が過剰となり、重ねた我慢が破壊に向かいます。

金魚は狭い水槽に沢山いるとストレスでバタバタと死に、2匹くらいになって、ちょうどいい状態になる。しかし貫多はそこから増やそうとする。エスカレートしてしまう体質なんですよ(笑)。

僕もそういうところがあって、先日もある古書の大市で、籘澤淸造の自筆の手紙が出品されたんです。業者が代行する置き札式のものだったんですが、結局常識外れの高額値で入手できました。後先考えずに、アツくなってしまうんです。

ただこれは自分の為になることだからいいんですけど、貫多のは少し違う。彼は「善意の人」なんですが、その善意が見当違いのところに突き進んでしまう。あと、押し付けがましい(笑)。

―NHKの「ようこそ先輩」に出演された近況が作中に出てきます。私小説とエッセイとの境目についてはどう意識されていますか?

「夢魔去りぬ」という短篇ですね。フィクション性はいちばん少ない作品ですが、書き手としては明確に創作とエッセイの区別は付けていますし、書き分けてもいます。あとは読み手の受け取り方次第でしょうね。

―初期と比べ、テンポの良い会話で読ませる「畜生の反省」などの最近の作品には、軽妙な印象があります。貫多の器の小ささが読者としては共感というか、自分よりもまだ下にいる人間と思えて安堵もさせます。

それは本望ですね。僕自身も、籘澤淸造や川崎長太郎の、そういうテイストの小説ばかり読んできましたから(笑)。

軽妙ということでいうと、貫多ものを10年、50本ほど書いてきて、彼の由来説明を省くようになったことが影響しているのかもしれません。あとは改行。昔は潔癖で、文字を詰め詰めにしていたんですが、よく考えたらこれは損をしているんじゃないのか。改行を増やすことで読者は読みやすく、校正者はラクになり、作家は枚数が稼げる。四方丸く収まるなら、これでもいいかと(笑)。

ただ、「私小説」は僕の看板ですから、このスタイルは今後も変えません。僕にとっては、「文学」がどうのこうのなどという、くだらぬ屁理屈はどうでもいいことです。ただ「私小説」に恩義を感じて書き続けているだけですから。

にしむら・けんた/'67年東京都生まれ。中卒。'04年「けがれなき酒のへど」で作家デビュー。'07年『暗渠の宿』で野間新人賞、'11年「苦役列車」で芥川賞受賞。『一私小説書きの日乗』『棺に跨がる』『疒の歌』『無銭横町』など著書多数

(取材・文/朝山実)
『週刊現代』2015年8月29日号より

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