田崎健太「海外サッカーへの憧憬」

~松原良香Vol.2~
スポーツコミュニケーションズ

兄がアルゼンチンへ

 松原の祖母の兄がアルゼンチンに移民していた。子どもの頃からアルゼンチンという国名は聴かされており、マラドーナの着ていた水色と白の縦縞のユニフォームに松原は心を鷲づかみにされた。南半球のアルゼンチンが一気に身近になった瞬間だった。

 そして、兄の真也がアルゼンチンにサッカー留学することになった。
「兄貴はカズ(三浦知良)さんに憧れていたんです。静岡だからテレビでカズさんのことを取りあげたりしていましたね。カズさんがブラジルのクラブから帰ってきたときは観に行きました。ぼくも(兄と)一緒に行きたいって言ったんですよ。でも、まだ中2だった。当然、親は駄目(と言う)じゃないですか?」

 真也は松原の母、祖母に伴われてブエノスアイレスへ出発した。松原は悔しい思いで見送ったことを覚えている。
「しばらくして兄貴だけ置いて母たちは帰ってきました。それから兄から葉書が来たりするんですよ。電話で話をすることもありましたけど、電話代が高いのでたまに、でしたね」

 真也はアルヘンティーノス・ジュニアーズ、ベレス・サルスフィエルド、そしてティグレというクラブでプレーすることになった。
 アルヘンティーノスでは左利きの天才、フェルナンド・レドンドと同僚だった。また、ベレスでは「“チョロ”というあだ名の凄い選手がいる」と聞かされたこともある。もちろん、現アトレチコ・マドリー監督のディエゴ・シメオネのことだ。

 兄の言葉により、松原はプロのサッカー選手となること、国外のサッカーへの憧れを頭の中で膨らませていた。
「少年団のコーチが元々ホンダ(本田技研工業)の選手だったんですよ。それでホンダの選手が練習に来たことがあった。メシアスっていう左利きのブラジル人がいて、この人、サッカーだけで食べているんだとか子ども心なりに分かるじゃないですか」

 ちなみにこの頃、練習に来たホンダの選手の中に関塚隆もいた。
「フォワードですよね。巧かったですよ」