昭和が終わり、狂乱バブルはピークを迎えた……日本の分水嶺「1989年の呪い」を語ろう

田原総一朗×保阪正康×後藤正治
週刊現代 プロフィール

保阪 国民的な昭和の戦争の総括はできていませんが、昭和天皇自身の平和への思いというのは、大変なものがあったと思います。崩御の後、今上天皇の即位に際した記者会見では、昭和天皇の、いわゆる戦争責任を問う質問が多くなされたんですね。しかし、「戦争」という言葉には「開戦」「終戦」と様々な要素があり、「責任」にも「法的」「道義的」と多様な軸がある。昭和天皇は、戦争での道義的・歴史的責任を痛感していたと思うんですよ。

田原 一方、国民の側では、東京裁判で天皇は裁かれなかった、だから責任はないんだとか、逆に責任逃れだなどという議論があった。でもそれは違う。天皇が訴追されなかったのは、GHQの占領政策をうまく運ぶためだった。こういう認識を国民的に共有する機会のないまま時代は平成に突入し、いまの右傾化につながっていくんです。

後藤 '89年ということで浮かぶのは、何と言ってもベルリンの壁崩壊です。社会主義という壮大な実験が失敗だったという現実を、目の当たりにしたわけですから。

保阪 中国でも民主化できると学生たちが考えて、結局天安門事件が起きた。この年の暮れにルーマニアのチャウシェスク大統領が銃殺された場面もそうでしたが、世界の激変がテレビを通じてリアルタイムに伝わってきた。そういう時代の幕開けでもありましたね。

後藤 '89年は世界の構図が変わった年であり、分水嶺だった。以後、日本社会の歪みはさらに増していったように思えます。ある意味で呪いの年とも言えるかもしれませんね。

田原 私は冷戦が崩壊したことの意味を、日本人が理解できなかったことこそが呪いだと思う。冷戦期は、日本は西側諸国の「西の端」であって、ソ連に対抗するために米国が守らなければならない場所だった。だから、安全保障についてはお任せで、何も考えなくてよかった。その状況が変わったということを、日本人はその後10年くらい気が付かなかったんです。

保阪 冷戦という軸、あるいは経済大国という軸。そして美空ひばりや松下幸之助といった社会、経済、文化を牽引した軸。そうした、世界を理解する軸が失われていったときに台頭してきたのが、オウム真理教のようなカルトだった。坂本弁護士一家殺害事件が起きたのも'89年なんですね。

田原 私は彼らを何度か番組に呼んで話しましたが、世代が違えば全共闘に入っていたような若者だと感じましたよ。

保阪 経済成長を極めた時期にはかえりみられなかった、精神性を求めていたんでしょうね。

後藤 こうして話していると、'89年を考えることが、戦後70年を迎えたいま、日本が抱える矛盾と課題の源流を探ることに重なっていると気付かされます。

田原 いまからでも、日本人がきちんと昭和をとらえなおすことの意味は大きいでしょう。

たはら・そういちろう/'34年滋賀県生まれ。'60年早稲田大学第一文学部卒業。'64年東京12チャンネル(現・テレビ東京)入社、'77年独立。『朝まで生テレビ!』('87年~)他に出演
ほさか・まさやす/'39年北海道生まれ。'63年同志社大学文学部卒業。出版社勤務等を経て、'72年『死なう団事件』で作家デビュー。'04年『昭和史講座』などで菊池寛賞を受賞
ごとう・まさはる/'46年京都府生まれ。'72年京都大学農学部卒業。'90年『遠いリング』で講談社ノンフィクション賞、'95年『リターンマッチ』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞

「週刊現代」2015年8月15日・22日合併号より


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