「二度と戦争を起こさないぞ」って言うけど、いや、もう起きてるんじゃないの?

いとうせいこう×高橋源一郎 "あの日"の後に書くことについて 2
いとうせいこう, 高橋源一郎

慰霊なんて本当にできるのか?

高橋:いろいろ必要なことがあると思います。人によってできることも、やるべき場所も違う。僕が今回フィリピンに行ったのは伯父の慰霊のためだったんですが、それ以前に慰霊なんてことがほんとうにできるのかなっていうことが、僕の心の中にありました。それはどういうことかというと、いとうさんも『想像ラジオ』で亡くなった人たちのことを書いていますが、あれは慰霊ですよね。

いとう:完璧に慰霊ですね、僕にとっては。

高橋:でも、慰霊を重視しない人にとっては当人の問題ではない。そもそもそんなことはできるのかと疑うでしょう。重視する人にとっても、「お前ができるのか」、「お前は関係ない小説家じゃないか、他人じゃないか」といわれる。 

僕は叔父の一応遺族になるわけですが、遺族といっても僕は会ったことがありません。彼は昭和20年に亡くなって、僕は昭和26年生まれですから、完全に他人ですよね。そんな遠い人間の死が「心の底から悲しいか」って言われたら、微妙だったんです。だからそんな僕は慰霊に行けないよねっていう思いが長い間ありました。

僕のような戦後生まれの人間が、いとうさんもそうですけれど、70年前に亡くなった日本兵、もしくは日本の民間人、いや、アジアのすべての亡くなった人を、どうやって慰霊できるのか。「お前ら誰も知らないじゃないか、何で勝手にしゃしゃり出てきて慰霊しているんだよ」っていう声がする。それは自虐だよっていう声が。

いとう:そうそうそう、そうなんです。「せいぜい亡くなった日本兵のために靖国行け、あとはいいよ」って言われた時に、どういうふうに返せばいいのかって、とても難しい問題なんですね。

高橋:僕もそれがあって叔父の慰霊にも行けなかったし、自分の叔父の慰霊にも行けないのに、70年前に死んだすべての人に対しての慰霊なんて、そもそも無理だよねっていうのが正直なところだったんです。

70年前の未来が「今」だとしたら

高橋:これは若い世代に教わったことでもあるんですが、藤田貴大さんが主宰する、「マームとジプシー」という劇団が、「cocoon」という舞台を作りました。

これは沖縄のひめゆり部隊の女の子たちの悲劇を描いた劇なんですが、藤田君はまだ30歳です。原作の今日マチ子さんもまだ30代後半。僕なんかよりも、いとうさんよりもはるかに若い人たちが戦争の悲劇にダイレクトにぶつかっている。

舞台は2013年が初演で、今年が再演で、僕は両方とも見ましたが感動しました。びっくりしたのは、彼らは慰霊をしているわけですね。なぜ彼らは慰霊することができたんだろう。

なぜできているかというと、僕たちは慰霊というと過去に亡くなった人を、その過去を振り向いて、「あなたたちは亡くなって本当に気の毒です」って思ってやるもんだと考えるじゃないですか。「cocoon」は過去を振り返っていないんです。劇の中に、「今は過去から見た未来だ」っていうセリフがあるんです。

その舞台の特徴はですね、ひめゆり部隊の女の子たちが、昭和20年の防空壕の中で苦しみながら看護師として医療していくという物語なんだけれど、そのまま現在の女の子の生活とつながっている。普通に遊んで日常生活を送っている現代の女子高生がそのまま昭和20年と行ったり来たりしている。その様子を見ているうちに、あそこで米軍の艦砲射撃にあっているのは今の子だっていう気がしてくる。

それは同情じゃないんです。あそこにいて、ひめゆり部隊の中で死んだ女の子たちは、現在の女の子たちと変わらなかっただろう、というところが出発点になっている。すると、あそこで死んだのは自分だったんじゃないか。そう思えた時、昭和20年の世界にいっているんですよ、皆。あるいは、昭和20年が現在に今にやって来ている。

いとう:同じことが起きている。

高橋:それが起こった時に、他人を慰霊しているんじゃなくて、自分をじゃないかと思う。下手すると、そこで死んだのは自分だったり、今の自分の友達だったり、未来の自分だったり、誰だかわからない、でも自分に一番親しい人間がそこで死んだんだっていう劇になっていたんですね。