ソ連将校のレイプ、満州での飢餓 澤地久枝「すべてを話しましょう」

【特別企画】
現代ビジネス編集部 プロフィール

GHQに捕まるという恐怖

私たちは、戦争体験を語らなかったのではありません。「語れなかった」のです。

いまの人たちには想像もつかないでしょうけど、戦後まもなくの日本には『戦争中のことは語ってはいけない』という空気が漂っていたのです。当時は本当に『戦争中の話を軽々しくすると、GHQに捕まって、沖縄で捕虜として働かされる』というウワサが流れていましたから。恐怖に心を支配されて、誰も多くを語ろうとしなかったのです。

ひとつ、鮮明に覚えていることがあります。戦争が終わった後、私は東京の女学校に入学したのですが、授業中に、小石の入った綺麗な箱が回ってきました。先生に隠すようにひっそりと後ろの子が回してきたので、小声で『なに、これ?』と尋ねると『これ、広島の石なのよ』と答えるのです。原爆投下後の広島で誰かが拾ったガレキだ、と。

それを聞いて、私の内には言葉にならない不思議な感情が湧いてきた。おそらく他のみんなも同じ気持ちだったと思います。ところが休み時間になっても、誰もそのガレキのことには触れない。戦争のこと、特に広島のことを話すと、GHQに連行されると本当に思っていたから。

 

それぐらい占領軍は怖かった。その恐怖が染みついているから、この国では戦争の記憶がうまく語り継がれてこなかったのではないかと思うのです。

しかし語り継がなかった結果、今日のような状況をつくってしまった。私の身内に、14歳になる子がいます。彼は戦争について何も知らない。戦争とはどういうものかを彼に伝えるためには、私が14歳のころの話をするしかないと思いました。あの苦しかった日々と、私が軍国少女だったという恥ずかしい過去。それをいま、できるだけ具体的に書いておかなければならない、と。この本は、いま14歳を生きている「彼ら」に向けて書いたのです。

神風なんか吹かなかった

満州にいたころ、母は日本が勝つということに懐疑的でしたが、そんな母のことを私は「非国民」と思っていました。学校で弁論大会が行われた時、私が決めたテーマは「敵の野望を撃て」、でした。「敵」とは誰なのか。アメリカ人もイギリス人も見たことなんかないのに。それでも新聞を読み込んで、「敵」のやった残忍な行為を拾い出そうとしました。戦況は日々苦しくなり、学校ではサイパン島での日本軍の玉砕が知らされましたが、しかし神風が吹くものだと信じていた。

ところが、そんなものは吹かなかった。8月15日、父親から「戦争は終わったよ」と告げられ、私の「国」は消えた。それはもう、あっさりと。そしてその直後、ソ連兵が満州に侵攻してくるのです。

……私はこの本の中で、ソ連兵にレイプされそうになった話を書いています。いままで誰にも話さず、今日まで胸の奥底に隠しておいたことです。