誰も本気で米国と戦争するなんて思ってなかった〜「壁新聞」が伝えた開戦間際の「日米友好」

【特別公開】井上寿一=著『戦前昭和の社会』3
井上 寿一 プロフィール

日独伊〈文化〉関係

他方で写真壁新聞が報道する海外情勢は、ドイツ、イタリアの枢軸国に関するものが目立つようになる。

注目すべきは、対枢軸国との関係が〈文化〉中心だったことである。いくつか例を挙げる。1937(昭和12)年4月21日号は、「日本人形の贈り物/ヒットラー総統に」である。対するヒトラーの写真の一つは雪村筆「風濤図」に「興深く見入る総統」である。

日本古美術展を鑑賞するヒトラー(同盟通信写真ニュース1939年3月22日号)

この記事(「伯林(ベルリン)の日本古美術展に/驚嘆の声を放つヒ総統」)は、ドイツ博物館における日本古美術展の開会式当日のヒトラーを「曽つては画家を志したヒ総統の鑑識眼の素晴しさに参列の人は等しく驚嘆した」と讃えている(1939〈昭和14〉年3月22日号)。

あるいは日伊文化協定の調印式の写真もある(1939年3月26日号)。対枢軸国関係における〈文化〉の強調は、政治的・軍事的な提携のイメージを脱色化する効果があったのではなかろうか。

実際のところ、この年(1939年)1月のドイツからの三国同盟案に対する日本側の対応は複雑だった。同盟の対象に英仏等をふくめるか否か、日本と枢軸国の利害が対立していたからである。

枢軸国像の転換

このような枢軸国像が大きく転換するのは、第二次欧州大戦の勃発(1939〈昭和14〉年9月)をきっかけとしている。ドイツの電撃戦の成功は日本を幻惑した。写真壁新聞も戦争指導者としてのヒトラーを肯定的に描くようになる。

ヒトラー総統の誕生日(同盟通信写真ニュース1941年5月9日号)

たとえば1941(昭和16)年5月9日号は「前線に秘策を練る/ヒトラー総統の誕生日」である。「〝英国打倒〟を目標として北へ南へと独逸(ドイツ)の鋭い電撃の白刃は閃いているが、次に来るものに備えて秘策を練るヒトラー総統は誕生日にも係らず、前線の基地にあって作戦を凝らしている」。

あるいは5月27日号の「地中海制覇の秘策や如何に?/最前線に作戦を練るヒトラー総統」は、「地中海制覇目指して着々と大進撃を開始した。……前線基地に作戦するヒトラー総統」の写真だった。

すでに日独伊三国同盟は成立していた(1940〈昭和15年〉9月27日)。写真壁新聞は、軍事的な同盟国としての枢軸国の姿を国民に印象づけようとしている。世界秩序の大変動は写真壁新聞をみる誰の目にも明らかだった。

(つづく)

井上 寿一(いのうえ・としかず)
1956年、東京都生まれ。一橋大学社会学部卒業。同大学院法学研究科博士課程などを経て、現在、学習院大学法学部教授。法学博士。専攻は日本政治外交 史。主な著書に『危機のなかの協調外交』(山川出版社、吉田茂賞)、『日中戦争下の日本』(講談社選書メチエ)、『昭和史の逆説』(新潮新書)、『吉田茂 と昭和史』(講談社現代新書)、『山県有朋と明治国家』(NHKブックス)がある。