誰も知らない「モンペ」の謎〜なぜこれが女性の「国民服」になったのか?

【特別公開】井上寿一=著『戦前昭和の社会』2
井上 寿一 プロフィール

服装改善委員会

和装か洋装か、戦時下にふさわしい服装は何か。政府は「服装改善」委員会を設置して、官民合作による「服装改善案を作成、戦時下の国民大衆に指針を示すことになった」(1938〈昭和13〉年8月16日)。委員会の委員長は厚生省の次官である。女性は市川房枝ほか6人が参加する。作家の菊池寛や芸術家、百貨店関係者、繊維業界の代表も委員だった。

政府は1938年11月15、19の両日、57名の委員による「服装改善」委員会を開催する。『東京朝日新聞』は委員会の趣旨をつぎのように説明する。

「服装は国民の保健、品位、活動力などに重大なる関係があり、経済上影響するところも大きいので放任すべき時にあらず、日本人ほど雑多な服装を使用して居る向もないので……服装に関する委員会を設け」た(『東京朝日新聞』1938年11月21日)。

 

委員会では和装、洋装を問わず、女性の服装に対して批判が集中した。

▽男子の洋服は現在のでよいが婦人の服装は男子の服に伴わない。
▽きらびやかな美しい日本のキモノの地質は非常に弱い。
▽娘三人持てば蔵が空っぽになるという程、日本服は金がかかる。
▽男と共に活動しても見劣りせぬ女の着物を考案して貰いたい、それには地質、形、経済的な点を考慮すべきだ。
▽日本の婦人が世界で最も被服費を使って居る。
▽中流以上の婦人の服装を改めるのは困難だ。それには、大体標準を制定し普及するがよい。

以上のなかでもとくに注目すべきは最後の項目である。すでにみたように、戦時下にあっても洋装に身を包んだ上流階層の女性たちが銀座の街を闊歩していた。彼女たちの服装を簡素にするのはむずかしい。新しい国民服によって平準化する以外にない。これが委員会の基本的な考え方だった。

ここで委員会はモンペに注目する。

▽農村の婦人の作業服は東北地方のモンペ以外に適当なものがない。新らしき土、満洲などに進出するためにも適当な服をつくって貰いたい。
▽防空演習で都会の婦人がモンペを使用した結果非常に便利だと認めた。
▽家庭の婦人の作業服も適当なものが考案されると広く使用されるであろう。

戦時下の女性の「作業服」としてモンペが役に立つ。「都会の婦人」も防空演習でモンペの便利さを認めた。「服装改善」委員会は、戦時服としてのモンペの持つ機能性を再評価した。

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