「事変不拡大」を模索した近衛文麿は、なぜ「日中戦争の泥沼化」を止められなかったのか

【特別公開】井上寿一=著『戦前昭和の社会』1
井上 寿一 プロフィール

ラジオによる国民の慰安

ラジオが国家権力によるメディアの政治利用の一手段だったことはいうまでもない。ラジオ放送の経営は、日本放送協会から実質的に国家官僚の手に渡り、国家統制が確立していた。日中戦争下の主なラジオ番組は、ニュースとラジオ体操だった。

「ラジオを聞けば、体操とニュースの時間が増えて、ニュースは北支事変と献金の報告で一杯である。街頭を歩けば男性は献金箱の重囲を突破すべく無一文では歩きがたい。女性は待機する千人針の氾濫に停止しつつ徐行しなければ進むことも困難である」。『文藝春秋』(1937〈昭和12〉年9月号)は当時の世相をこう伝えていた。

ラジオで戦況を追いながら、ラジオ体操によって、潜在的には強い兵士となるための体を作る。ラジオが国民皆兵の一助となる。これは「ファシズム国家」に似つかわしい社会状況である。

しかしおよそすべてのメディアがそうであるように、日中戦争下のラジオにもある程度の双方向性があった。国民はラジオの連日のニュース報道によって、戦争気分に踊らされていただけではない。ラジオの前で居住まいを正して聞いていたのは、肉親や近親者の大陸の前線における安否を確認するためでもあったからである。

それだけではなく、戦時下にあっても国民はラジオに娯楽を求めた。1937(昭和12)年度の聴取状況調査は、聴取率75パーセント以上の番組として、浪花節、歌謡曲、講談、落語、漫才、ラジオドラマなどを挙げている。

これらの番組のなかには時局柄ふさわしくないものもあったはずである。しかし戦時下であることを逆手にとって、娯楽番組を擁護する意見もあった。『日本放送協会史 上巻』によれば、『文藝春秋』1938(昭和13)年6月号のラジオ月評子が述べている。

「事変下に於て国策の線に沿うて、放送協会では演芸放送に自粛自戒を率先断行している。文化の統制もこの際必要なことである。だがそれにもまして必要欠くべからざることは、銃後の士気を鼓舞するところの、新文化の創造へ対する指導的精神の確立である。国民は国策遂行のためには増税も物価の騰貴も欣然と負担する。節約も貯蓄も励行する。そのあらゆる物資生活に対する緊張は、精神生活で慰安されなければならぬ」。

戦時下だからこそ、ラジオによる国民の慰安が必要だった。

ジャズ音楽の容認

戦時下にラジオの娯楽番組が必要なことは、取り締まり当局がよく理解するところだった。ラジオの娯楽番組のなかでもとくに人気だったのが軽音楽である。当局も「近頃、時局下の大衆娯楽として、軽音楽の普及は素晴らしく顕著となってきた。ラジオ放送でも、殆んど毎日のように軽音楽が放送されている有様である」と認めている(『現代史資料41)』)。

当局は軽音楽のなかでもジャズ音楽に注意を払う。「支那事変の発生以後に於てダンス・ホールに対する論難の声と共に、ジャズ音楽に対する論議も相当やかましくなった」からである。「往年ドイツがジャズを検討したと同様に、我が国に於ても、厳正な批判を加えておく必要はある」。いかにも「ファシズム国家」の取り締まり当局らしい考え方である。

当局の研究はジャズの歴史からはじまり、ジャズバンドの編成、「曲種と拍子」など詳細をきわめる。その結論は意外なものだった。

「ジャズ音楽には、今迄の音楽には見出すことの出来ぬ極めて新しい音楽的手法が多分に用いられて居り且つそれは日々により新しきものへと進みつつあり、これが日本の新しい音楽を建設する上にも参考手法として大いに役立つであろうことは否めぬが故に、日本の音楽文化建設の為の参考品としても、或る程度この新しき音楽が我々の周囲に常に流れ動いていてくれることは必要なことと思われる」。

こうして当局は以下に挙げる種類のジャズ音楽を容認することになった。

 一 各国の特色ある民族性を強調した旋律を有する音楽
 二 軽快にして陽気なる音楽(騒擾的に過ぎざるもの)
 三 諧謔的軽音楽
 四 叙情調音楽
 五 勇壮感を有する音楽

戦時下にあっても、ラジオに大衆娯楽を求める国民の声を無視することはできなかった。娯楽番組をとおして国策を注入する。このような国家の側からのメディア統制にもかかわらず、国民はラジオを自らのものとした。