米軍はいかにして日本兵を投降させたか〜その周到すぎる心理作戦

【特別公開】一ノ瀬俊也=著『日本軍と日本兵』2
一ノ瀬 俊也 プロフィール

日本軍の尋問は腕力

対する日本軍部内の情報漏洩防止策はどうなっていたのだろうか。以下に掲げるのは米軍が掴んだ日本側の対策である(IB1945年9月号「日本軍、防諜を強化」)。

日本軍も敵に情報をとられていることは気づいており、防諜に敏感になっていたが「防諜の機運は最初にレイテで起こり、沖縄で高まった」というから対応は後手後手である。

具体的な防諜策は各部隊の将校、下士官兵が相互に、あるいは民間人と接する際の規則を定めること、部隊が作成した機密書類は高い格付けを与えて地名・部隊名は記号で表示し、役割を終え次第処分すること、暗号化された文を電話で平文に置き換えたり、部隊の移動・装備・組織などに関する事項を電話で話すのを禁止することなどである。

兵たちの郵便についても「我が方のそれと同じくらい厳重な検閲が行われ」「葉書は抜き取り検査だが、封書やその他封筒入りのものはすべて、中隊長か高位の将校により開封、検閲される」という。注目すべきは「沖縄戦の終わりに至るまで、日本兵の死体から個人を特定できる物が何一つ見つからなかったとの報告が多数なされている」ことだ。

前出のIB1945年9月号「日本軍の士気──亀裂拡がる」も「最近の日本軍の命令は、もし兵が不運にも連合軍の手に落ちたとき、その親切な扱いに騙されてはならぬと強調している」と述べている。これらの報告をみるに、日本側も戦争の最終段階では自軍将兵が捕虜となる可能性を否定できず、一定の対策は講じていたようだ。

ところで、逆に日本軍が捕らえた連合軍捕虜から情報を引き出す際の手法はどうだったのか。「日本軍、防諜を強化」の一年ほど前に出た、IB1944年6月号「日本軍の諜報と防諜の手段」は「敵〔日本軍〕のある海軍少尉が捕虜を扱う際の観点」として、次の心得を挙げている。この少尉はおそらく捕虜で、記事はその尋問結果であろう。

a.捕虜は可能な限り個別に分けるべきだ。

b.捕虜間の会話、意思の疎通は制限すべきだ。

c.捕獲した文書、メッセージなどの情報価値を持つ物は、捕虜からの聴取と組み合わせて用いるべきだ。それらは調査に便利な手法で分析、整理されねばならない。肝心なのは捕虜を得て文書を可能な限り完全に分析することだ。

d.尋問にあたっては腕力が指針とならねばならない。敵の言葉は我々とは違うからだ。口をすべらせて詳細な分析を引き出したり、遠回しな尋問法〔特に尋問者が語彙に乏しい場合〕を用いて成果を挙げるのは困難である。だから〔特に尋問側にとっては〕正式な聴取のほうが容易である。尋問中は勝者は優れていて敗者は劣るという空気をみなぎらせるべきだ。必要があれば質疑に筆談を用いてもよい。

e.尋問の目標が定まるまでは、捕虜に将来の不安を覚えさせ、精神的に疲弊させるのがよい。その宿舎、食べ物、飲み物、監視についてしかるべく考慮せよ。

私は、日本軍の捕虜尋問は言語の壁もあってか力に頼った強引さ、拙速さが目立ち、先にみた米軍の柔軟で手の込んだ尋問手法にはとうてい及ばないとみる(ただしこの日本軍少尉は「米兵〔捕虜〕の話し好きな性向に気付いて」いるとIB同記事は付記、注意喚起している)。

関連記事

ABJ mark

ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標 (登録番号 第6091713号) です。 ABJマークについて、詳しくはこちらを御覧ください。https://aebs.or.jp/