1945年と2015年が地続きだと実感できますか? 高校生らとつくる「デジタルアーカイブ」できっかけ提供

渡邉英徳さんインタビュー
佐藤 慶一 プロフィール

いろんな立場の人がかかわれる、「無印」なヒロシマ・アーカイブ

――一方で、総合監修を担当された「沖縄平和学習アーカイブ」は沖縄県の事業となっています。

渡邉:これについては口惜しい思いがあります。沖縄平和学習アーカイブは県が認めた資料のみ更新される決まりとなっていて、ぼくのほうでは内容を自由に更新できません。また、アーカイブが平和学習のためであり、美術作品でないということから、東京で展覧会が開催できないなど、むずかしさや歯がゆさを感じることもありました。

対照的に、ヒロシマ・アーカイブは「無印」です。制作者情報を見ていただくと、だれが、どこが主体なのか、すぐにはよくわからないと思います。さまざまなイデオロギーが共存するとともに、いろんな立場の人がかかわれる座組みになっている――そうなってしまった、という表現のほうが適切かもしれません。広島女学院の生徒をはじめ現地の若者による貢献が大きいプロジェクトとなっているからです。

――クレジットの順番も特徴的というか、いい意味でフラットな印象を抱きます。

渡邉:国土地理院が下から2番目にありますが、ふつう先頭にあってもおかしくないと思います。ただ、組織もだれが主体かよくわからないですし、これも意図してフラットになったというよりはヒロシマ・アーカイブのもつアーキテクチャに影響されて、そうなっていった面があるのかなと思います。ただ、沖縄平和学習アーカイブやナガサキ・アーカイブはまだこの段階にはたどり着いていません。

――となると、いまいちばん理想の状態に近いのはヒロシマ・アーカイブになるんですか?

渡邉:そうです。現状、ナガサキ・アーカイブでは長崎新聞社さんの資料が中心となっていて、沖縄平和学習アーカイブも沖縄県の事業なので、まだまだ透明なプラットフォームということはできません。ナガサキ・アーカイブに関しては今年から違った資料を載せることになりましたから、少しずつヒロシマ・アーカイブの状態に近づけていけたらと思います。

高校生や大学生がデジタルアーカイブを育てていく

――デジタルアーカイブというと、見せ方やシステムに関心が集まりがちですが、大事なのはその背景にある地道な証言やデータ集めだと思います。現地ではどのように取り組んでいるんでしょうか?

渡邉:広島に関しては、広島女学院の高校生が証言集めなどを手伝ってくれています。初年度は10数名でしたが、今年で4代目となり、累計で70~80名がかかわってきたことになります。彼女たちの活動を見ていて、先輩の姿に憧れたモチベーションの高い後輩が入部し、先輩が後輩へ引き継いでいく流れができていることはいいなと思います。また、高校なので、メンバーが硬直化せず3年で自然に循環していくこともポイントでしょう。

初年度の生徒たちは素朴なインタビューをしていましたが、いまでは役割分担もしっかりしていて、機材もちゃんと使えるようになっています。当初はインタビューのデータを東京に輸送してもらい、ぼくらがマッピングをしていました。それがいまでは、証言インタビュー、映像編集、そしてマッピングまでほとんどのプロセスを高校生自身がやるため、実際にインタビューした方にアウトプットを見せに行くとき、とても誇らしい顔をしているんですね。

つまり、いまでは高校生たちも"私たち"がヒロシマ・アーカイブをつくっています、と胸を張って言える状態になっています。さきほど多元的デジタルアーカイブの話をしましたが、データだけではなく、被爆者、現地の高校生、東京の大学生など多元的な人々が集まるようになっています。どうしても被爆者の方の証言を聞くというのは重いこと。そんななかでも、いろんな立場の人が集まり、同じ方向を向いている温かい場所ができていることがとても嬉しかったです。

――たとえば、首都大の学生はどういうことをやっているんでしょうか?

渡邉:首都大の学生たちはチューターとして、高校生に指導しながら活動を進めています。たとえば、ヒロシマ・アーカイブをどう活用していくのかというアイデアソンを高校生といっしょに開催しています。現状の欠点や平和学習に足りないものを考え、全員で企画を立て、実際に街に出てプランを実証するものです。

このアイデアソンのきっかけになったのは、地元・広島の高校教師の方でした。ヒロシマ・アーカイブそのものは良いコンテンツかもしれないけれど、いざ「教育」にどのように使えばいいのかわからない。だから、アイデア交換会のようなものをしたいと言われたんです。そこで、ちょうどいいところにぼくの研究室にワークショップのプロがやってきました。NPO法人伊能社中の理事長を務めながら、現在博士課程在籍中の学生でもある田村賢哉くんです。

田村賢哉さん

はじめて田村くん主導でワークショップを開催したところ、うまく盛り上がりました。どうしてもぼくはクリエイター気質な部分があり、デジタルアーカイブをつくることが一つのゴールだったんです。つまり、ネット上やApp Storeなどに置いておけば見られるだろうという考え方で、あまり使い道を考えていなかった。

いままさに、ぼくが制作したデジタルアーカイブのさらなる可能性を高校生と大学生(大学院生)たちがどんどん引き出してくれているところです。たとえば、目の見えない方にどうやってヒロシマ・アーカイブを使ってもらえばいいのかというアイデア。これについては実証実験もおこない、プロジェクトを進めています。高校生や大学生が活用法を含めてデジタルアーカイブを育てていく、そういう状態が素敵だと思います。田村くんや現地の高校生がとてもアクティブなので、ちょっと悔しいくらいです。

広島女学院での高校生を対象としたワークショップの様子(渡邉英徳研究室×ネットワークデザインスタジオ 週報20150625より

――渡邉先生は、以前から「記憶のコミュニティ」をつくることを掲げています。これはどういうことでしょうか?

渡邉:記憶のコミュニティとは端的に言えば、さまざまな世代や立場の人々が参加するコミュニティです。だれか一人がリーダーシップをもつ主体的なコミュニティではありません。また、正面から意見をぶつけ合うのではなく、別の場所にゴールがあり、そこに向かって全員がミッションを共有している運動体です。

そこには多様性が欠かせません。真面目な人がいてもいい、テレビ出たいという人がいてもいい、ふつうの人がいてもいい――たくさんの人が同居しているからこそ、一人がつまづいても誰かが代わりになることができる。それが永続性につながり、記憶のコミュニティの意義であると考えています。

ぼくはこのデジタルアーカイブ制作を通じた活動を長く続けたい、続けなければいけないと思っています。毎年この時期にはいろんな特集ページが制作されますが、なかには翌年ドメインが切れているような取り組みもあります。こうした刹那的なやり方は、戦後長きに渡って平和活動を続けてきた人に失礼ですよね。