「人の死を悲しいと思えない自分が怖かった」97歳、吉沢久子が語る戦時下の女性と暮らし

【戦後70年特別企画】

婚約者がいたんですが、戦争に行ったまま帰ってきませんでした。中支で亡くなったと聞きましたが事実はわかりません。悲しくても、文句を言うところも嘆く暇もありませんでした。

彼は外科医の卵で治療医学を学んでいたのですが、戦争によってそのいのちを失ってしまった。彼が生きていたらやりたかっただろうと、私は、予防医学である栄養学を勉強しようと学校に通いました。

戦後は文芸評論家の古谷が戻ってきてその仕事の手伝いに忙しくしていました。自分の意思があったというよりは、なんだかわからないうちに巻き込まれていったという感じでしたね。

何をするにも天皇陛下のため、親のため、という教育を受けてきたので、自分のことを考える、という視点がまったくなかったように思います。自分の好きな仕事や暮らしができるようになったのは、独り身になった60を過ぎた頃ですね。いまはもう100歳近くになりますから、毎日自分のために楽しく生きていこうと思っています。

絶対に戦争を起こさないでほしい

戦争を知らずに、戦争に対して無関心で暮らしていることは恐ろしいことです。戦争は私が知らないうちにいつのまにか起こってしまったものですから。

70年前の私たちだって、戦争が起こると思って暮らしていたわけではなくて、盧溝橋事件のニュースを知っても自分とは少し離れたところで起きていることだと思っていましたよ。そこから始まって、気付いたら自分がいる場所も戦地になっていたんです。

安倍首相をはじめいまの政治家たちも戦争を知らない人がほとんど。若い人たちに戦争のことを知ってほしいと思います。いまは私たちが戦争を体験した時代とは違って、情報も入ってくるし、NOと言うこともできます。私たちは新聞かラジオで情報を得ていましたが、完全に操作されていたし、NOと言ったら命の危険にさらされました。私たちはたまたまそういう時代を生きてきました。いまこの時代を生きる若い人たちには、戦争の事実を知って、声をあげて、絶対に戦争を起こさないでほしい、と強く思います。

吉沢久子
1918年、東京生まれ。文化学院卒。42年に古谷氏の助手となり51年に結婚。生活評論家、エッセイスト。テレビの料理番組でも草分け的な存在。『吉沢久子、27歳の空襲日記』など著書多数。

(取材・文/徳瑠里香)