高橋是清、犬養毅、鈴木貫太郎、栗林忠道……
戦中戦後の偉人・軍人末裔が語る「あれから70年」

戦争の有名人 その子孫たちは「いま」【第2部】
週刊現代 プロフィール

硫黄島の栗林大将、戦艦武蔵の猪口中将

戦争で散って行った軍人たちも、子孫に影響を与え、その後の日本社会を動かしている。

衆院議員の新藤義孝氏(57歳)の祖父は、「硫黄島の戦い」で司令官を務めた、栗林忠道陸軍大将である。

「祖父は、硫黄島では戦いを長引かせ、何とか本土での戦いを遅らせようと努めた。家族が暮らす国を守ろうという思いだったのでしょう。司令官でありながら、兵卒と同じ食事をし、最期は彼らと一緒に突撃しました。

いま私は、硫黄島の遺骨収集をライフワークにしています。祖父は突撃の直前、仲間を前に、『いつの日かみんなの頑張りを讃えて涙して冥福を祈ってくれる時が来るだろう』と言っています。それを受け止めたいのです」(新藤氏)

戦艦武蔵の「最後の艦長」猪口敏平海軍中将の四男、猪口勇氏(76歳)は、父親についての記憶はほとんどないが、強い尊敬の念を抱いている。

「親父とは、僕が5歳の時に死に別れました。鳥取の大工の倅から立身出世を遂げた人で、すごくストイックだった。砲術の成績がよく、『大砲の猪口』とか『教科書を書き換えられる』とか言われていた」

武蔵は存在自体が最高機密だったため、猪口が艦長ということは秘密。最後の任務地も、家族にさえ伝えられなかった。

'44年10月、猪口率いる武蔵は、フィリピン・レイテ沖海戦で米機の波状攻撃を受け、撃沈された。猪口は部下に総員退艦命令を下したあと、自らは、艦と運命をともにした。

「のちに親父の死について知って、これ以上なく男らしい死に方だと思った。僕にとって親父は神に近い。だから、親父の同期の方に『似ている』と言われた時はすごくうれしかった。いまでも人生に迷う時は、親父の仏様に相談する」(勇氏)

勇氏が仕事を選ぶ時にも、父の影響はきわめて大きかった。