高橋是清、犬養毅、鈴木貫太郎、栗林忠道……
戦中戦後の偉人・軍人末裔が語る「あれから70年」

戦争の有名人 その子孫たちは「いま」【第2部】
週刊現代 プロフィール

高橋は丸顔、ヒゲ面で、「だるま宰相」といわれたことでも知られる。高橋の子孫が集う「だるま会」の幹事をする高橋是修氏(86歳)も、高橋の孫の一人だ。

是修氏は、経済財政で辣腕を振るった高橋とは違い、IBMの技術職社員として活躍してきた。

「慶応大法学部を卒業後、すぐにアメリカに留学し、日本に戻って就職した。祖母の品子(是清の後妻)は、薩摩藩の技術商工の家系だったらしく、私はそちらの血筋を引いたらしい」(是修氏)

是修氏が7歳の時に高橋は殺されたが、記憶はあるという。

「夏、祖父の家に行くと、浴衣姿であぐらをかく祖父の膝に座らされるのですが、あのヒゲがチクチクして、タバコのにおいがすごい。祖父はヘビースモーカーでしたから。私は『痛くて臭いから、嫌』と逃げ回っていたらしい。本当に子供好きの祖父でした」(是修氏)

五・一五で暗殺された犬養毅、ポツダム宣言を受諾した鈴木貫太郎

エッセイストの犬養亜美氏は、犬養毅(政友会総裁、総理大臣)の曾孫だ。

犬養は、五・一五事件で殺される直前、自分を殺しに来た青年将校に、「話せば分かる」と説き、最期まで言論の力を信じた人物。その影響は、いまも家系に及んでいる。

「父の康彦は共同通信に入り(のちに社長)、伯母の道子はジャーナリストとなりました。五・一五事件は当時、内務省、司法省の命令で、ほぼ報じられず、それがその後の全体主義の雰囲気につながった側面がある。だから犬養家では、『言論の自由』を大事にすることがしみついたのです。世間で犬養本人は忘れられつつあるが、この精神は残したい」(亜美氏)

鈴木貫太郎は、海軍大将を経て、侍従長(天皇の側近)となり、終戦の直前に昭和天皇に請われて総理大臣となった人物だ。終戦の手続きを進め、最終的にポツダム宣言を受諾した。

鈴木の家庭は、裕福で寛容な雰囲気だったという。孫で音楽評論家の鈴木道子氏(83歳)が言う。

「家の中に誰も戦争に賛成する人がいない、変わった家庭でした。目上の人の言うことには絶対服従という時代に、うちでは『自分の意見を言いなさい』と教育されてきました」

こうした家庭環境は、子供たちの進路の選択にも影響する。

「大学を卒業して文化放送にアナウンサーとして入社しました。当時、女性はアナウンサーでの採用しかなかったんです。本当は報道をやりたかった」(道子氏)

そこに、意外な展開が訪れる。

「音楽部に呼ばれ、番組の担当プロデューサーになりました。幼い頃からクラシックピアノをやっていたことが評価されたんです。それが、音楽評論家という仕事につながりました」(道子氏)

その後、米国でポピュラー音楽を勉強し、帰国。日本で、米国の音楽を紹介、評論するようになる。マイケル・ジャクソンやジョニ・ミッチェルなどにもインタビューをした。