【高校野球100周年記念】消えた甲子園の怪物たち

史上初の完全試合選手や田中将大の同期
週刊現代 プロフィール

「今は、製品を開発してから世に出るまでの日程の管理、材料の費用がどれだけかかり、どのくらいの値段で売るのかを決める部署にいます。半年前にこの部署に来たばかりで、今は勉強中です。野球の時のように、謙虚にやり続けることで、仕事を覚え、会社でも戦力になりたいです」

完全男が味わった挫折

江川卓、松坂、田中ら怪物と呼ばれた球児たちもなしえなかった偉業を達成したのが、前橋高の松本稔だ。'78年春の選抜大会1回戦の比叡山戦で1-0。史上初の完全試合を達成した。

「試合の3日前にスピード、制球、カーブの曲がりも悪かったのでひじの位置を下げました。試合当日は、完全試合に気づかず、最後まで平常心で投げられたのが良かったのでしょう。宿舎に戻り、夜9時に歌番組『ザ・ベストテン』を見たとき、司会の久米宏さんが『今日は高校野球で大変な記録ができましたよね』と話されて初めて、実感がわいてきました」

しかし、3日後の福井商戦では0-14と大敗。

「私は無四球でしたが、被安打17。そこにエラーも重なった。完全試合で急に注目が集まり、緊張しすぎてしまった。あの試合、最後まで投げないといけなかったのはつらかった」

夏は県大会準決勝で敗れた松本は筑波大にすすみ、'85年に保健体育教諭として群馬県立中央高に赴任。2年後の夏に監督として甲子園に出場し、立浪和義らを擁するPL学園と対戦。2-7で敗れた。

春夏連覇を達成したPLはこの大会すべての試合で初回に先制したが、その後一時逆転され、リードを許したのは、中央高だけ。PLを苦しめた。

「僕は完全試合と3日後の大敗を経験し、気持ちの持ちようでだいぶ結果が変わる、ということを知りました。当時、僕が投げていた直球のスピードは135キロ。特別な力がなくても、甲子園に出られて、記録を作れる可能性もある。そのことは、昔から教え子にも伝えてきました。完全試合はもちろん、それ以上に、福井商戦の惨敗のほうが、人生にとって大きな意味があったかもしれません」

プロ12球団が挨拶に

松本が同じ群馬出身で「プロでやる姿を見たかった」と評するのが、阿久沢毅だ。松本が完全試合を達成した'78年春の選抜に桐生高のスラッガーとして出場。2回戦の岐阜高戦、準々決勝の郡山戦で、王貞治以来となる2試合連続本塁打を放ち、4強入りした。阿久沢が当時を振り返る。

「2年の夏まで出られなかった甲子園に出られたことが嬉しかった。王さんの記録のことは知らなかったけど、松本も完全試合をして勝ち上がっていたので、そのライバル心が強かった」