【高校野球100周年記念】消えた甲子園の怪物たち

史上初の完全試合選手や田中将大の同期
週刊現代 プロフィール

松坂以上の奪三振数

野球場から離れ、鋭い視線を送る相手が打者から日程表に代わった男もいる。静岡県浜松市内にあるヤマハの本社。電子楽器の開発管理グループに勤める古岡基紀は、'98年の夏の決勝で京都成章のエースとして平成の怪物こと、横浜高の松坂大輔(現・ソフトバンク)と投げ合った。松坂にはノーヒットノーランを達成されたが、決勝までひとりで投げ抜いた古岡は、大会通算57奪三振。松坂を3つ上回っていた。

「松坂はケタが違う。マウンドの松坂の足跡を見て、『投げ合っているんだな』と思いましたけど、僕は彼の一ファンという感じでした。大会通算の三振数で上回っても、松坂は超えられません」

古岡は春の選抜にも出場。2回戦で岡山理大付に2-18と大敗したことが転機となった。

「僕が3回途中で降板してライトに回ったせいで、ライトを守っていた田坪(宏朗)が打席に立てずに選抜が終わってしまった。それがすごく申し訳なかった。以来、練習に対する意識がガラッと変わりました。

夏の甲子園をかけた京都府大会の準決勝で、リリースの時だけ力を入れる感覚を覚え、制球がよくなり、横に曲がるカーブを覚えた。投球の幅が広がりました」

夏の甲子園では2回戦の如水館戦、準決勝の豊田大谷戦で毎回奪三振。のちにプロ野球の横浜で活躍する豊田大谷の古木克明からは4三振奪った。

「古木から三振を奪っても、『プロに行けるかも』という気持ちにはならなかった。

僕はもともと心配性で高校のときも専門の先生についてメンタルトレーニングをしていた。決勝の前夜も『明日大差で負けたら、積み上げてきたものがすべてなくなってしまう』と不安でいっぱいで、0-3で負けたことに悔しさを感じなかった。それが勝てなかった原因かもしれません」

中央大に進んだ後、古岡はけがに泣いた。

「大学2年までは、プロを強く思っていましたが、1、2年と肩を痛め、そこでフォームをいじっておかしくなった。球速を意識して、自分の投げ方がわからなくなった。4年生で少し投げられるようになって、ヤマハに拾ってもらいました」

古岡は'12年に31歳で現役を引退した。