【二宮清純レポート】首位打者を目指して今日も打つ 秋山翔吾(西武ライオンズ)が大化けしたのはなぜか?

週刊現代 プロフィール

決して全国区の強豪とは言えない北東北大学野球連盟に所属する八戸大(現・八戸学院大)に進学したのは、横浜創学館との間に太いパイプが存在したからである。

語るのは八戸大の前監督・藤木豊。

「当時の秋山は細身でしたが、長身でスピードがありました。しかも肩が強くて守備範囲も広い。バッターとしてはハーフライナーの強い打球が魅力でした。

本人は早くからプロを意識していました。それが若くしてお亡くなりになったお父さんの遺志であり、家族の夢でもあると。幸い、ウチのOBに横浜創学館(当時横浜商工)の出身で、DeNAでプレーした内藤雄太がいた。それでお母さんに彼の例を出して、育成方針を説明したんです。

秋山は賢い上に、礼儀正しい好青年。お母さんが手塩にかけて、しっかりお育てになったのでしょう。お母さんは関東近辺で試合があると、必ず見に来られていました。その姿を見て〝この子は是が非でもプロに行かせなければならない〟と、こちらもプレッシャーを感じたものです」

大学4年の春には打率4割8分6厘というハイアベレージを記録した。藤木が「地方大学の選手は目立たないといけない。打率4割でもまだ低い」と発破をかけ続けた成果だった。

ライバル・柳田との因縁

その甲斐あって、'10年のドラフトで、秋山は西武から3位指名を受けた。1位は大石達也(早大)、2位は牧田和久(日本通運)。

この年のドラフトを巡っては、こんな秘話がある。ある在京球団のスカウトが明かす。

「地方大学ながら、高い評価を受けていた外野手が2人いた。広島経済大からソフトバンクに2位で入った柳田と、秋山です。どちらを獲るかで両球団とも水面下で綱引きをしていた。

先に一軍で活躍したのが秋山。ソフトバンクのスカウトは〝秋山を(2位で)獲るべきじゃなかったのか〟と上層部から嫌味を言われたそうです。結果的には、どちらも正解でしたが……」

秋山と言えば、西武ではビッグネームである。同じ外野手ということもあり、どうしても秋山幸二を連想してしまう。

プレッシャーはなかったのか?

「ものすごくありました。もう重荷と言うのもおこがましいほどにかけ離れた存在でしたから。最初のうちは、僕自身、〝名前をお借りしている〟という気持ちでした」