【戦後70年特別企画】
「昭和陸軍」の失敗。エリート軍人たちは、どこで間違えたのか

敗戦は戦う前から見えていた
週刊現代 プロフィール

にもかかわらず、武藤も田中も南方進出の方針を変えず、'41年7月、南部仏印に進駐。アメリカは事前の警告通り、直ちに石油を含む対日輸出の全面禁止に踏み切った。

「武藤は南部仏印に進駐したぐらいのことで、アメリカが石油を禁輸するとは予想してなかった。石油を禁輸すれば日本が東南アジアの石油を求めて南方に進出してくるのは明らか。アメリカはイギリスを助けるため、まずドイツを叩くつもりで、二正面作戦となる日本との戦争を望んでいないと思い込んでいたのです」

武藤は外交交渉での事態の打開に一縷の望みを託すが、田中はアメリカとの戦争を主張した。結局、ハル米国務長官は日本軍の中国、仏印からの無条件撤兵、三国同盟からの離脱などを求める、いわゆる「ハル・ノート」を提示した。

「田中は、これを飲めば日本は満蒙の権益を失ってしまうので到底我慢できない。アメリカと戦えば長期戦になり勝ち目はほぼないが、ドイツ次第では万に一つの勝機があるかもしれないと考えた。

アメリカの戦争準備が整う前の有利なタイミングで開戦すべきと主張し、万策尽きた武藤も開戦を承認。こうして無謀な戦争に突き進んだのです」

最後は国民と心中する

'41年12月8日、ついにその時が訪れる。南雲忠一中将率いる機動部隊がハワイのアメリカ艦隊を奇襲。初戦の戦果に日本中が沸いたが、物量に勝るアメリカが次第に攻勢に転じ、日本軍は「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓に基づき、各地で玉砕した。

「アメリカとの戦争に負けたら陸軍は権力を失う。どうせ権力を失うなら、日本民族ともども心中しようという精神構造が陸軍にはあった。同じ負けるにしても、陸軍という組織を残すためにできるだけ有利な条件で降伏しようとも考えた。そのために人命を犠牲にした作戦も敢行させたのです」

太平洋戦争での悲劇を引き起こした、一夕会の中堅幕僚たちの失敗。現場の暴走を陸軍中央は抑えられなかったのか。

「陸軍のトップは永田ら一夕会の操り人形だったので、中堅幕僚が暴走しても、それをコントロールできませんでした。

永田らは第二次大戦が必ず起こると想定して、自給自足の完璧な安全保障体制の構築にこだわりました。結局、軍人ゆえの合理性から完璧を目指そうとして、目の前の事態に対処できずに状況は悪化していった。

確かに永田の予想通り第二次大戦は起こりましたが、日本が国際連盟を脱退していなければ、別の展開になっていたかもしれない。複雑怪奇な国際情勢の中で、完璧な安全保障など、そもそも可能だったのか。むしろ戦争を起こさないようにする多種多様な対応こそが、求められていたのではないでしょうか」

戦後70年、いま、安保法制の問題などで日本人の戦争観が問われている。「昭和陸軍」の失敗から、学ぶことは多い。

かわだ・みのる/'47年生まれ。名古屋大学名誉教授、日本福祉大学教授。専攻は政治外交史、政治思想史。『戦前日本の安全保障』『昭和陸軍の軌跡』ほか著書多数