【戦後70年特別企画】
元零戦搭乗員たちが見つめ続けた「己」と「戦争」【後編】

『零戦 搭乗員たちが見つめた太平洋戦争』著・神立尚紀インタビュー
米軍厚木基地のクリスマスパーティーに招かれた際の、ありし日の志賀淑雄さん(写真/神立尚紀)

この日は展示してある零戦の操縦席に座ったんですが、乗り込むとき、風防の前後に手をかけて、ふっと両足を浮かせたんですね。私は思わず「危ないですよ」と声をかけたんですが、そのまま足を持ちあげてストンと操縦席に収まりました。

「俺はこれ以外の零戦への乗り方を知らん」と言ってそのまま座席位置を調整して操縦桿を握り、右眼で照準器をスッとのぞいた。その瞬間、ゾクッとしました。一連の挙動だけで大原さんが伝説のパイロットであることが納得できたような気がしたからです。

海軍兵学校一の美男子と謳われた志賀さん。終戦時は少佐

ほかにも大原さんの言動でシビレたことがあって。第一線に出た海軍の戦闘機乗りはその8割が戦死しています。だから生き残れた大原さんは強運の持ち主なのかと聞いたんです。そうしたらニヤッと笑って「いや、運だけじゃないね」とひと言。つまり腕前が良かった、実力があったから生き残れたということなんですね。戦闘機乗りの矜持を見た思いでした。

―志賀さんはどういう方だったのでしょうか?

若い頃は海軍兵学校一の美男子と謳われた方で、私がお会いできた晩年も、自然と人が集まってくるような、華のある方でした。

米軍の厚木基地や横須賀基地で開かれるパーティーにはゼロファイター(零戦搭乗員)が招かれることがよくあって、私も志賀さんに同行させてもらったことがあるんですが、いつの間にか志賀さんを囲む輪ができていました。かといって自分から前に出て目立つことは決して好まない。志賀さんは第三四三海軍航空隊(三四三空)の飛行長として終戦を迎えるんですが、「自分のことは書かなくていいから部下のことを書いてくれ」と言って、三四三空の元隊員を私に紹介してくださいました。