「戦後50年決議」をめぐる右派団体「日本会議」の暗躍

そして戦後70年の今、彼らは何をしようとしているか?
魚住 昭 プロフィール

参院幹事長室を占拠した日本青年協議会が激怒

交渉が大詰めを迎えたのは'95年6月6日夜だった。

どんな内容なら慎重派が了承できるかと加藤政調会長らが文案作りを繰り返した。その文案を衆院役員室で「これならどうです」と村上さんに提示する。彼はそれを参院幹事長室に持ち帰る。

幹事長室は、椛島氏をはじめ日本青年協議会(=後の日本会議の事務局)の関係者らに占拠されていた。彼らは文案を見て「いや、これじゃ駄目だ」「この文言はああだ、こうだ」と言う。村上さんは加藤政調会長のもとに引き返し「この文案じゃ受け入れられない」と伝える。その繰り返しで夜が更けていった。

最終的に加藤政調会長らが提示してきた文案はこうだった。

〈(前略)世界の近代史上における数々の植民地支配や侵略的行為に思いをいたし、我が国が過去に行った【こうした】行為や他国民とくにアジアの諸国民に与えた苦痛を認識し、深い反省の念を表明する(後略)〉

村上さんが口頭で伝えられた文案には【こうした】が入っていなかった。

であれば、日本が「植民地支配や侵略的行為」を認めたことにはならない。その辺が極めて曖昧になるから参院幹事長室を占拠する連中も納得できる。村上さんはそう思ってOKサインを出した。じゃ、これでいこうと、その場でシャンシャンシャンと話がついた。

再び村上さんの回想。

「散会後に決議を成文化したペーパーをもらいました。その場で中身を確認しておけばよかったんですが、そうせず幹事長室に戻った。それで皆(日本青年協議会の面々)に『だいたいこっちの要望通りになったから、これで決めたよ』とペーパーを見せたら、皆が『何だ、これは! 村上先生おかしいじゃないか』と言い出したんです」

村上さんが改めてペーパーを見ると、加藤政調会長らから口頭で伝えられた文案と明らかに違う。【こうした】がいつのまにか挿入されていた。これだと日本が侵略戦争をしたことを認めてしまうことになる。

しかし、村上さんはついさっき役員会で了承し、その役員会は「村上からOKが取れた」と言って散会してしまった。今さら取り返しがつかない。

村上さんがつづけて当時を振り返る。

「椛島さんらはものすごい勢いで怒った。私が彼らをペテンにかけたと言うんです。なかには私のネクタイをひっつかまえて怒鳴る者もいて、参院幹事長室は大騒ぎになった。とにかく目の血走った連中が『絶対阻止』を叫んで大勢押しかけて来ているわけですからね」