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自動車業界およびモータースポーツの勃興期に活躍され、多大な功績を収めた先輩方に語っていただく本企画。
我が国初のレーシングマシン、R380がスカイライン伝説と結びつき、日本のモータリゼーションを牽引していく現場を歩んできた島田氏の証言は今回で完結する。
1937年東京生まれ(77歳)。1956年、都立中野工業高校機械科を卒業後、富士精密工業(後のプリンス自動車工業)に入社。設計部のシャシー設計課に配属され、車軸、ブレーキ、ブレーキクラッチコントロール、ブレーキ配管などを担当。主にスカイラインやグロリアなどのアクスル関係の設計に携わる。この時、直接の上司ではなかったが同じ課にいたのが櫻井眞一郎氏。
そして1963年、レース車開発グループが編成されるとリーダーである櫻井氏に請われ、シャシー関係の設計に従事することになる。この時、島田氏は正式に「櫻井学校」への入学を果たし、以来、R380、R381、R382、R383といった名レース車両の開発に設計者として約6年間、参加した。
その後、実験部や法人営業室などの勤務を経て、1989年にオーテックジャパンに転属。
そして1996年に櫻井氏が設立した「エス・アンド・エス」に転職。一貫して櫻井氏の右腕として54年間のサラリーマン生活を送ったことから「右腕」、「番頭」と呼ばれ、多くの伝説誕生をずっと支え続けてきた名補佐官だ。