【稀代の政治家 田中角栄(2)】
神楽坂の妾宅用に350坪の土地を購入、広い庭付の豪邸を建て毎月100万円を送った

福田 和也

土地にしろ家にしろ仕送りの額にしろ、庶民の常識からはかけ離れている。一国の首相になった人間だからといって使える金の額ではないだろう。しかし、そこには角栄の意思が感じられる。正式な妻になれないまま自分と人生を共にし、自分の子供を産み、育ててくれた1人の女性への感謝と尊重、尽くしたいという思いだ。

角栄の長男の京さんは以前、銀座にバーを開いていて、いっとき私もその店に通っていた。いつか、京さんは、自分の名前の由来について、こんなことを語ってくれた。

「私が生まれた頃の日本の政府の財政予算は億でした。私の名前には、いつか兆をも超える京の金を動かせるようになりたいというおやじの思いが込められているそうです」

もう1人、角栄とともに生きた女性がいる。

「越山会の女王」といわれた、角栄の秘書の佐藤昭子だ。

2人の出会いは、昭和21年に遡る。角栄が新潟二区から出馬した際に昭子が選挙運動を手伝ったのだ。

後に角栄は昭子に「おれはお前に一目惚れしてしまったんだ」と語っている。

その選挙では落選したが、代議士になると、角栄は自ら昭子に自分の秘書になってくれと依頼した。27年12月1日に昭子が議員会館の角栄の部屋に顔を出したときから、二人三脚が始まった。